《うさぎの島》はかつて「地図から消された島」だった。戦後80年、絵本『うさぎのしま』が描く戦争の記憶と環境問題。広島県・大久野島

大久野島のうさぎはどこからきたのか
DNAが教えてくれるうさぎの由来(兼子伸吾・福島大学共生システム理工学類 教授の解説より)
大久野島のうさぎは、もともと日本にいるノウサギとは種類が違います。「アナウサギ」という外国のうさぎから、人間が飼いやすいうさぎだけを選んで交配した「カイウサギ」です。
では、大久野島のうさぎの祖先は、いつ連れてこられたのでしょうか?
1970年代に、白いうさぎと白黒のうさぎが島に連れてこられたことが、当時の新聞に出ています。このうさぎたちが祖先でしょうか? 戦争中にうさぎが逃げ、その子孫が生きのびている可能性はあるのでしょうか?
世代を超えた生き物の歴史は、生き物のDNAにそのヒン卜が残っていることがあります。DNAは生き物の設計図で、細くて長いヒモにいろいろな情報が記されています。このヒモのような設計図から生き物の体がつくられているのです。
私たちは大久野島のうさぎのDNAを調べるために、うさぎの糞を持ちかえりました。実験室で糞からDNAだけを取り出し、膨大なDNA情報の中から、うさぎの家族関係を示す部分を選び、「ジェネティックアナライザー」という機械で解析します。
これまでに約200個の糞を調べたところ、島のうさぎはいろいろなタイプのDNAを持っていました。つまり、大久野島には、いろいろな家族出身のうさぎが暮らしているのです。
人間にふりまわされるうさぎたち
戦争中に飼われていたうさぎや、1970年代に連れてこられたうさぎだけが祖先であれば、限られた家族しかいないはずです。しかし、DNAが教えてくれたのは、最初の家族が増えていった歴史ではなく、たくさんの家族が混じりあった歴史でした。
つまり、これまでに何度も何度も大久野島でうさぎが捨てられてきたということです。
戦争中に逃げ出したうさぎの子孫がいないと断言はできません。でも、昔から島にいたうさぎが生き残っている可能性は低いです。
うさぎの家族の入れかわりにも、人間は関係しています。
いまの大久野島には、うさぎたちが食べられる植物が十分にありません。では、食べ物のない島にたくさんのうさぎが生息しているのはなぜでしょうか?
それは島を訪れる人間が、えさをあげるからです。人間が与えるえさを食べて、うさぎは生き、仔うさぎを産んでいます。
毎年、大久野島ではたくさんのかわいい仔うさぎが生まれます。そして、この仔うさぎの多くは、カイウサギとしての寿命をまっとうすることなく死んでいくのです。
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