《うさぎの島》はかつて「地図から消された島」だった。戦後80年、絵本『うさぎのしま』が描く戦争の記憶と環境問題。広島県・大久野島

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大久野島の風景
大久野島の風景(写真:setsuna / PIXTA)
発電所跡にいたうさぎ
発電所跡にいたうさぎ(写真:月兎耳アキ / PIXTA)

地図から消された島

この絵本の舞台となった大久野島は、瀬戸内海にうかぶ周囲4kmほどの小さな島です。

広島県竹原市の忠海港からフェリーで南へ約15分のところにあり、たくさんのうさぎが住むことから「うさぎの島」として親しまれています。うさぎたちの愛くるしい姿を見るために、国内外から数多くの観光客が訪れます。

そんな大久野島はかって、「地図から消された島」でした。1929(昭和4)年から第二次世界大戦が終わる前年の1944(昭和19)年までの間、ここで毒ガスがつくられていたためです。

戦争で毒ガスを使うことは、たくさんの国同士の取り決めで禁止されていました。そのため、旧日本軍は毒ガスをつくっていることをかくすため、大久野島を地図から消したのです。

主につくられたのは、イペリットとルイサイト。「びらん性ガス」とよばれる、肌や目、呼吸器をただれさせる致死性の毒ガスです。大久野島では約15年のあいだに、嘔吐性ガスなどもあわせて約6600トンもの毒ガスが製造されました。

戦時下のピーク時には、約5000人の作業員が島で働いていました。給料がよく、地元の住民がたくさん集まりましたが、毒ガスをつくっていることは、家族にも秘密にしなければなりませんでした。

作業員は防毒マスクや防護服で身を守りましたが、もれてくる毒のせいで、障害がのこる人や、命を落とす人もいました。

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