「中学生の頃、隣町の中学の生徒会長のことが好きだったんです。今でいう“スピってる”(スピリチュアル系が好きな)子で、UFOや都市伝説が好きで。何とか話を合わせたくて、図書館に行って(オカルト雑誌の)『ムー』などを読み漁り、自分なりの宇宙人の解釈を考えまして」
その説を生徒会長にメールで送ったところ、「すごい」「都市伝説の才能がある」と返事が来た。有頂天でますますオカルトにのめり込んでいき、そうして得た膨大な知識が、YouTuberとしてのコンテンツになったのだった。
実はたっくーさんの家庭環境も、オカルト系配信者としての土壌になっていた。
子どもの頃、夜になると母親が稲川淳二さんの怪談をビデオでずっと流しており、狭い家だったため否応なしに耳にしていた。そこで怖さへの耐性が付くと同時に、自身も怪談が好きになったのかもしれないと回想する。
そして、チャンネル開設から約9年で、登録者280万人超という、YouTubeドリームをつかみ取ったのだった。

貧しかった環境も「恨みはまったくない」
「親ガチャ」という言葉がある。どのような親のもとに生まれ、恵まれた家庭環境に置かれるかはゲームのガチャのようなものだ。はたから見ると、たっくーさんは決して恵まれた家庭環境ではないかもしれない。
けれど、たっくーさんは母親への思いを「貧しかったけど、どの家庭よりも子どもの僕たちに愛情をくれていました。母がいなければ今の自分はない」と口にする。
「恨みはまったくないですね。親は代わりがいないし、自分がこうして取材を受けているのも、悩んでいるときがあるのも、親が生んでくれたおかげです。そう思ったほうが、人生は幸せになりそうですしね」
「そう思ったほうが~」という最後の言葉に、少しだけ複雑な本音と、自らを鼓舞する意志が見えた気がした。実際に、裕福でない家庭に生まれて理不尽だと思ったことはある、とたっくーさんは続ける。
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