「母はパチプロで貧しい家庭でした」「月給9万円で名刺1000枚を配り…」“怖い話”で280万人超から支持される人気YouTuberの《数奇な半生》

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高校卒業後、相方を見つけてコンビを結成したが、ネタが思い切りコンプライアンスに反していたため、ライブではまったくウケなかった。

「僕の家庭は“お堅い”とは真逆で、言葉も会話も荒いし、ケンカをすると家中がグチャグチャになることも多かったんです。だから自然とブラックジョークが好きになり、それが面白いと思っていました。でもお客さんの反応は全然よくなくて、劇場の支配人や先輩芸人からは生意気だと言われることもありました」

インタビューに応じるたっくーさんは、とても丁寧な態度と言葉遣いで、尖っていたときの姿が想像つかない。背水の陣で、ライバルたちと差をつけるためにも、とにかく攻めまくっていたのだろう。

しかし当時は2010年代で、社会的にコンプライアンスが厳しくなりはじめていた頃。過激で不謹慎なネタは排除される風潮がすでにあった。たっくーさん自身も、自由が許されると信じていたお笑いの世界でも厳しい制約があるという現実を思い知ったのだった。結局、コンビは解散した。

たっくー
もともとお笑い芸人で生計を立てることを目指していた(写真:今井康一撮影)

「 HIKAKIN」を真似ても伸びなかった

次の相方を探しているときに、転機が訪れる。芸人になる前に働いていたパチンコ店の元上司から、YouTuberになることを勧められたのだ。

「ビジネスを考えることが好きな人で、流行っているものやこれから来るものを見つけるのも得意でした。当時まだYouTuberはそれほど知られていない頃でしたが、いずれ稼げるようになると目を付けたみたいです。若くて吸収力があり、一発当ててやろうという野心がある人を探していたようで、それが僕だったんですね」

だが、たっくーさんはそれまでYouTubeをほぼ見たことがなかった。パソコンを触ったこともなければ、もちろん撮影も編集もできない。また、芸人活動のために貯めていた貯金もとうになくなっており、借金が200万円ほどあった。

YouTuberをしている場合ではない、と最初は断ったが、「支度金として100万円渡す、機材も用意する」と提案された。

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