「パックマン誕生45周年」なぜ日本発キャラクターは、ゲームの枠を超えて愛され続けるのか?

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人気の浸透にはゲームセンター以外に、喫茶店の存在も大きかった。店内にテーブルを兼ねたゲーム機が置かれ、100円玉を積んでプレイするお客の姿も目立った。国内店舗数も多く(1981年に「15万4630店」:全日本コーヒー協会の発表資料)、 “喫茶店でゲームを楽しむ若者”は当時の社会現象だった。

1980年10月にアメリカに上陸した「パックマン」は驚異的なセールスを記録する。日本では約1万5000台だった筐体(きょうたい)の出荷台数が1年で約10万台となり、1982年にアタリ社の家庭用ゲーム機「Atari 2600」に移植されると、500万本を超えるメガヒットとなった。

パックマン
(撮影:今井康一:PAC-MAN™& ©Bandai Namco Entertainment Inc.)

ゲーム環境が変わる中での訴求

ゲームを楽しむ環境は時代によって大きく変わり、年齢や家庭環境によっても異なる。

例えば筆者の仕事関係者(40代男性)がゲームにハマったきっかけは、小学生時代の入院だった。「まだ1人で病院にいることが怖かった年齢だが、親が買ってくれた『ゲームボーイ』のおかげで、入院中は夢中になって遊んだ」と明かす。

世代によって、ハード機器はファミリーコンピュータ(任天堂、初号機は1983年)やゲームボーイ(同1989年)、ゲームボーイアドバンス(同2001年)だったりするかもしれない。

「パックマンはそれらにも移植しており、現在はスマホでもプレイできます。シンプルに楽しめるという基本要素は変えずに、時代に合わせて新しい楽しみ方も加えてきました」

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