彼は当時の様子を「予備校に通ったら勝手に成績が上がると思い込んでいました。しかし、(勉強していないから)成績は上がらない。だから1浪目の秋ごろには2浪に突入すると思っていました」と語ります。
2浪目からは、ご両親や予備校の人たちに頭を下げてまた駿台の京都校に通わせてもらった石戸さんでしたが、結局この年も瞬間的に勉強をする期間はあったものの、長続きせず、相変わらず友達と遊んだり麻雀三昧の日々を送ってしまいます。
結果、2浪目もセンター試験の点数は7割程度。前期試験で岐阜大学の医学部を受けて不合格、後期試験は山梨大学の医学部に出願して、二段階選抜で足切りとなってしまいました。
志望校を東大理科3類に変更
流石にこのままではダメだと思った石戸さんは、3浪を迎えるにあたって予備校を代々木ゼミナールの京都校に変更します。
「すぐに誘惑に負けてしまう性格なので、3浪目は友達のいない状況を作ることで、勉強するようにしようと思いました。自分の今までの生活を振り返ってみると、このままいっても無限に浪人するな、絶対に医学部に合格できないなと思ったんです。勉強しようと思った大きなきっかけは2浪のときの失恋です。
最初は『なんで振られたんだろう?』と思いましたが、客観的に自分を見つめると、いつも口だけで努力できない最低の人間だと気づいたんです。このままじゃいけないな、努力できる人間にならないといけないなと思い勉強するようになりました」
3浪で初めて勉強らしい勉強を始めた石戸さんは、「この1年でものすごく成績が上がった」と語ります。
「実は3浪目から志望校を変更しました。夢は大きく持とうと思って、若気の至りで東京大学の理科3類を目指すことに決めたんです。親はずっと成績が悪い自分がそんなことを言い出したことにびっくりしていましたが否定はせず。『目指すのはいいけど、どこか地方の大学の医学部に受かりなさい。そこに合格してから(東大理科3類を目指して)浪人するのは自由だから』と言われました。
それから頑張って勉強をしはじめて5月の模試で、2浪まではE判定しか取ったことがなかった国公立の医学部で、初めてD判定が出ました。このときはメチャクチャ嬉しかったですね。勉強を続けているうちに、11月にはB判定も取れるようになりました」
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