大阪万博の跡地は “カジノやサーキット場”検討だが…36年前の『横浜博』の跡地が《年間8000万人》以上訪れる『みなとみらい』になるまで

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1993年7月に開業した70階建てのビル内には、69階には展望フロアが設けられ、高層階には三菱地所系の横浜ロイヤルパークホテルが入居。最上階である70階は、横浜港の夜景を見渡すことができるホテルのスカイラウンジ「シリウス」で、ここは一躍全国的なトレンドスポットとなった。

1993年、吉野純治撮影

ビル内にはオフィスのほか、低層部のランドマークプラザには、ショップ、レストランなどが入居。

1993年、吉野純治撮影

ランドマークタワー前には、85年に日本丸メモリアルパークが開園し、1930年に進水した大型練習船・日本丸が展示されている。

インターコンチネンタルホテルとパシフィコ横浜の建設風景(1990年5月26日、高橋孫一郎撮影)

みなとみらい21には、このほかにも、1991年にヨットの帆をイメージした外観のヨコハマ グランド インター コンチネンタルホテルと、国際会議場であるパシフィコ横浜が開業。97年には東急などが開発したクイーンズスクエア横浜が開業するなど、徐々に、海辺の魅力を楽しめる新しい横浜の街として親しまれるようになっていった。

みなとみらい線の開通で、横浜観光がより気軽に

2004年には、みなとみらい線が開通。横浜駅から、みなとみらい21地区を通って、古くからの横浜の中心街である馬車道や関内付近、元町・中華街を結ぶこの鉄道路線は、東急東横線と直通。その後、東京メトロ副都心線、東武東上線、西武池袋線とも相互直通運転するようになり、東京都心や埼玉から、より気軽に、横浜観光に訪れることができるようになった。

一方、横浜駅付近に目を移すと、1980年代に、駅東口側の開発が本格化。みなとみらい21地区の着工と同年の1983年には、東口駅前の横浜新都市ビルが起工。1985年の竣工時にはビル内のメインテナントとして、そごう横浜店が開店している。

戦後の高度経済成長期以降に横浜の中心的な繁華街となった横浜駅西口だったが、この時期に、みなとみらい21地区につながる東口側の開発が進んだということになる。

この横浜駅東口からみなとみらい側に橋を渡った対岸にあるのは、日産自動車グローバル本社。日産の創業地はもともと横浜だったが、東銀座に移転し、2009年にグローバル本社としたこの地に再び移転。

この日産自動車グローバル本社に続く新高島地区は、みなとみらい21では、2010年代前後から開発が進んだエリアで、大企業の研究施設や企業ミュージアム、展示施設、ホテルやオフィスなどのオープンが近年も相次いでいる。

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