「思ってた内容と違う…!」「グロいのに号泣した」賛否が噴出している“異色のハリウッド映画”『サブスタンス』の何が凄いのか

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

賛否両論のグロテスク表現は、脚本と監督を手掛けたコラリー・ファルジャが女性だから許されたのだろう。男性監督がこれをやったら、女性を嘲笑していると批判に晒されると思うし、そもそもここまでやる勇気を絞り出せない気がする。

ジェンダー平等の時代、男性だ女性だと分けるべきではないけれど、これだけは致し方ない。女性自身だからこそ、女性をここまで貶めることができたのだと思うのだ。つまり、自虐する自由。反省する自由が『サブスタンス』にはある。

男性たちの価値観で美醜や老いをジャッジされて、哀れみを受ける、あるいは自己憐憫に浸る物語ではない。女性自身の意識の持ち方にも弱さや考え方の醜悪さが存在しているというところまで深掘りしている。そこまでいかないと本当の女性の解放は得られないのではないだろうか。

サブスタンス
女性監督だからこそ描けた生々しさ(写真:©2024 UNIVERSAL STUDIOS)

のん主演映画と共通する点

2024年に公開された、のん主演の映画『私にふさわしいホテル』(堤幸彦監督)の主人公は、文壇のしがらみによって純粋に作品を評価されず、その元凶である大御所作家に復讐を図る。

でも、原作者・柚木麻子(著作『BUTTER』がイギリスの大手書店チェーンが選ぶ『Waterstones Book of the Year 2024』を日本人として初受賞して注目されている)は自作の主人公の復讐を正当化はしていない。映画のパンフレットで「最後まで性格の悪いヤツだったことが本当に嬉しかった」と語っていた。

映画化されるにあたり、主人公を少しばかりいい人に改変するのは仕方ないとも思っていたが、そうならなかったことを評価していたのだ。主人公の行動は決して大義ではなく、性格の悪さから生まれているという身も蓋もない事実。でもそれこそが作品の、そこに描かれた1人の人間の価値なのである。

『サブスタンス』の主人公にも筆者はそれを感じた。エリザベスとスーは、世の中の(男性目線の)ルッキズムやエイジズムの被害者であり、ときに加害者にもなる。言い方は悪いが、どちらの作品の主人公も自業自得なところはあるし、自分の被った悲劇に対して、もっとうまい対処法があるかもしれないのに、それをしないで、がむしゃらに突き進んでいく。

『私にふさわしいホテル』の主人公は巨匠への容赦ない復讐を行い、『サブスタンス』ではもう1人の自分から若さを奪っていこうとする。主人公自身がルッキズムやエイジズムに囚われて、若さや美至上主義になっている。前述したおじさんプロデューサーの醜悪な食事の仕方も、エリザベスの主観でもあるわけで、そういうふうに人を見ているのだと思う。

次ページ『アナと雪の女王』の概念をアップデートした
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事