【朝ドラ あんぱん】やなせたかし「後悔した就活」の顛末 「電通のほうがよかったかなぁ…」と就職先を見て少し後悔がよぎったが…
やなせは『アンパンマンの遺書』 (岩波現代文庫)にて、伯父から言われたこの言葉を紹介して「……と父は(あえて父と呼ぶ)言った」と書いている。
やなせにとっては「育ての父」をも超えた存在だったのだろう。最期のお別れをできないことを悔やみながらの社会人スタートとなった(記事「【朝ドラ あんぱん】やなせたかし「育ての親」と悲しすぎる別れ 愛情いっぱいに育ててくれた《伯父の寛》 東京で電報を受け取ったやなせは…」参照)。
見よう見まねで色校正を指示する「駆け出し時代」
入社早々、古臭くてちっぽけな田辺製薬のオフィスに面くらったようだ。古いモルタル3階建ての2階にある宣伝部の図案室で、やなせは働くことになった。
懸賞に入選するなど、 やなせは学生時代にデザイナーとしてすでに頭角を現していた。アルバイトで電通の仕事を手伝っていたこともあり、就職のときにも声がかかっていたという。だが、やなせは電通からの話を断り、製薬会社への入社を決断した。
そんな経緯があるだけに、ぱっとしない古臭い会社を見て、やなせは「電通のほうがよかったかなあ」と少し後悔したとか。
だが、会社はちょっとちっぽけなくらいなほうが、即戦力で働ける。またとがった人材が集まってきやすいため、職場としては意外と面白かったりする。
当時、軍国主義が色濃くなるなかで、ビタミンAやビタミンDを補う肝油を1日1杯飲むことが推奨されていた。だが、とても飲みにくいため、田辺製薬では、肝油をカプセルにくるんだ「ハリバ」を開発。カプセル型にして「1日1粒」と打ち出したところ、ヒット商品となった。
開発や宣伝において、現場で陣頭指揮をとったのは、のちにエーザイを創業する内藤豊次だ。新聞広告で「ハリバ肝太郎」という連載マンガを掲載するなど、斬新なプロモーションで話題を呼んだ。
そんな刺激的な職場で、やなせもたちまち仕事に夢中になった。「ハリバ」やビール酵母の「エビオス」という当時の主力商品を世にさらに広めるべく、新聞や雑誌に載せる広告を数多く手がけた。学生時代の課題とはスピード感がまるで違ったと、やなせはのちに振り返っている。
「実際に就職してみると、学校で習ったことはほとんど役にたたなかった。学校の実習は3週間ぐらいかけてゆっくりと制作するが、勤めてみると2時間ぐらいで仕上げなくてはいけない。部長から伝票がまわってくると、またたく間に描きあげてしまう」

無料会員登録はこちら
ログインはこちら