ガッツリ系バラ丼と関西風うどんのセットにそそがれる"湘南民の熱情"の正体、「里のうどん」が《藤沢のソウルフード》になった2つの必然

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まずは、バラ丼の開発のステップだ。創業以来、同氏が大切にしてきたのは、客の声を聞くこと。未経験で飲食に参入したため、どのようなメニューを提案すればお客様が喜んでくれるのか明確な答えを持っていない。そこで客の声を聞くようにしたのだが、快くアドバイスをくれる客が多かった。

なかには、「横浜駅においしいうどん店があって参考になるから食べて来い」と言い、お金を渡してくる客までいたそうだ。いわばバラ丼をはじめとした、里のうどんのメニューは客と一緒につくり上げてきた味といっても過言ではない。当時の状況について、西嶋さんはこう話す。

「当初、バラ丼のオーダーは入るたびに一からタレをつくっていました。そんな僕に、まとめて仕込んでおくものだと教えてくれたのはお客さまです。また、バラ丼にゴマをかけたほうがいいとか、マヨネーズがあったほうがいいといったアドバイスをいただけたことで、最初からは考えられないくらい商品として進化させることができました。創業28年を迎えることができましたが、今があるのは、アドバイスをくれたお客さまがいたからにほかなりません」

西嶋さんは元バンドマン。同期にはあのMr.Childrenもいる(撮影:大澤誠)

客からすると自分のアドバイスがすぐに商品に反映されているので、「また来てみよう」という気持ちになりやすい。その一方で、西嶋さんからすると、客の声を拾い上げることで、本当に求められるメニュー開発ができた。そのサイクルが回る中で、自身も関わったからこそ里のうどんに強い愛着を持つ人が増えるとともに、バラ丼が藤沢のソウルフードへ成長していった。

もう1つは、自ら「藤沢名物」として売り出したことが大きい。1号店の店舗は買い取った当初から古かったため、店が繁盛しだした2000年頃に改築をすることになった。店の看板も付け替えるとき、看板店の職人から提案されたのが「藤沢名物」と付けることだ。それを面白いと感じた西嶋さんは、店の看板だけでなく、ロードサイドの立て看板も「藤沢名物 里のうどん」に変更した。

その施策は当初からブランディングに役立ったが、とくにネットの時代になってからの効果は絶大だった。里のうどんを検索すると「藤沢名物」と表示されるだけでなく、「藤沢名物」と検索すると里のうどんが表示されるようになったのだ。その結果、藤沢市民の多くが里のうどんを特別な存在と認識するようになっていく。

コロナ禍を乗り越えたクラウドファンディング

ソウルフードとして藤沢を中心に店舗数を拡大していった里のうどん。そこにピンチが訪れる。コロナ禍だ。多くの飲食店が窮地に追いやられたが、それは里のうどんにとっても同様だった。

コロナ禍前、同社は事業を拡大し、国内で6店舗、タイで5店舗展開していた。2019年の同社の売上高は5億2000万円あり、国内だけでも1カ月で3000万円の売り上げがあったが、新型コロナウイルスの感染拡大とともにゼロになってしまう。

それでも、給料や業者にお金を払わないといけない。銀行から十分な資金を借り入れられる見込みがない。そんなとき西嶋さんが思いついたのが、クラウドファンディングの活用だ。

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