転職20回超え「出会いほぼゼロ」だった建築業の男性が"26歳差妻"と結婚し≪59歳≫でパパになるまで。年齢が子育てにどう影響したかも聞いた

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片山さんは1945年、終戦の年に生まれた。この世代は、10代で高度経済成長期を経験し、学生時代に学生運動のピークを迎え、社会人としてバブル景気と崩壊の波を直に受けるといった、戦後日本のありとあらゆる変革期に立ち会ってきた背景がある。

片山さんは大学卒業後、建設会社で内装関係の職に就くが、「サラリーマンをまともにしていたのは最初の1年くらい」。20社以上を転々とした。理由は、あくまでも自身の分析だが
「僕はA S D(自閉スペクトラム症、発達障害の一つ)の気質があって、あまりコミュニケーションが得意じゃない。トラブルが多くて辞めることが多かったんです」

「やっぱりインテリアのことをちゃんと学びたい」と専門学校に入り直し、卒業後は店舗内装の設計・施工、現場監督をしていた。仕事柄、女性と出会う機会もほとんどないに等しく、休暇はよく麻雀やビリヤードなどをして過ごしていたという。

パソコンとの出会いで人生激変

片山さんにとって設計施工の作業は楽しいものだったが、悩みの種となっていたのが見積書などの管理だった。見積もり作成なども片山さん自ら行っていたが、大型施設ともなると見積書の束の厚さは4cmにもなる量だった。1980年代初頭の当時は全て人の手で計算しなければならなかったため計算が合わないことが何度もあり、毎日四苦八苦していた。

もっと簡単に書類を管理したいと思い、片山さんは当時出始めたばかりのNECのパソコン『PC-8801』を買った。37歳のときだった。早速、見積もり作成ソフトを夜な夜な独学で作り始めた。

「自分は人とコミュニケーションを取ることは苦手だけど、こうやってパソコンを相手に集中し続けることはまったく苦じゃない。『俺はプログラマーをやるしかない』と思いました」

2、3年かけて見積書作成プログラムを開発し、発売にもこぎつけた。その後も開発を続け、現場に行くこともなくなり朝から晩までパソコンに向かう日々になっていた。

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