3度目は今回だが、その伏線は2024年8月7日。同年7月末に2度目の利上げをして政策金利が0.25%になった直後に、世界的な株価暴落が起きた。特に8月5日の日経平均株価は、値幅では史上最大の大暴落となった。これに慌てて、日本銀行の内田眞一副総裁は「金融資本市場が不安定な状況で利上げをすることはない」と明言してしまった。これで日銀は死が決定づけられてしまったのである。
1度目は「自殺」、2度目は「復活チャンスの自己破壊」
実は上記の「3回の死」は、それぞれ原因が違う。
1度目の死は、異次元緩和の始まりだが、この時の前代未聞の長期国債の大量買入れの目的、ターゲットは、デフレマインド打破という、世間のムードに流されたものであった。
景気は回復基調にあり、そもそも金融緩和は継続的にすでに相当な程度で行われていた。デフレと言っても、マイナス0.1%あるいは0%という程度のものであった。そして、ロジックもあいまいなものであった。
日銀が「何が何でもインフレ率を2%にする」と宣言し、世の中を驚かせるような実際の手段を取れば期待インフレ率が2%になる、すなわち、「呪文を唱えれば効く」あるいは「夢は願い続ければ叶う」というたぐいのものであった。つまり、日銀は論理を捨て、データに基づく金融政策を捨て、かつ日本銀行の独立性の精神を捨て、政治と世間に迎合する組織に自ら望んで変貌してしまったのだ。自殺である。
2度目の死は、1度目の死を半分取り戻せる、日銀の復活のチャンスを完全に破壊した。景気はいい。デフレでもなくなった。にもかかわらず、異次元緩和を普通の金融緩和に戻すどころか、異次元緩和という4次元緩和を5次元緩和にしてしまった。
デフレマインドの残り火を徹底的に消すために、原油価格の下落に対応して、大規模緩和をさらに拡大したのである。理屈はもちろんない。経済の危機でも金融市場の危機でもない。デフレの気配というのは、原油という完全な日本経済にとっては外部要因、しかも原油価格下落は景気にはプラスの要因であり、サプライサイドの要因であり、金融緩和で影響を与えられる需要喚起というルートと無縁のものであり、緩和を拡大する理由は日本中どこを探しても、経済学のテキストを探してもどこにもなかった。
もちろん、政策決定会合の執行部以外の審議委員の頭の中にもなかった。だから4時間にもわたる議論の後、5対4という前代未聞のボードメンバーの分裂での決定となった。しかも、当時の黒田東彦総裁は、2014年6月23日の経済同友会会員懇談会における講演で、以下のように述べている。少々長くなるが引用しよう。
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