さて、2025年5月1日。日銀金融政策決定会合の結果発表の日である。日銀は、物価も経済成長率の見通しも下方修正した。
植田和男総裁の記者会見での質疑での回答を簡潔に解釈すれば、オントラックのトラック(見通し)が下方にシフトしたのである。そして、下方リスクの方が大きいとも述べた。つまり、今後は、インフレ率も上がらないし、景気も悪くなるのであり、日銀もそう見通しているということである。利上げは当面、いや永遠にない、ということだ。
私は、2月28日の「トランプ・ゼレンスキー事件」(アメリカとウクライナの首脳会談)以降、「日銀のターミナルレート(金融引き締めの際の最終到達点)は0.5%だ」、とテレビ、ラジオ、原稿記事で繰り返し主張してきた。残念ながら、この予測は当たってしまいそうだ。
これ以上のインフレにはならない。少なくとも、賃金上昇が見通せるようなインフレにはならない(コストプッシュ、スタグフレーション的なインフレは除く)。これから景気は確実に悪くなる。金融政策として利上げする理由はない。
今後の株価は、乱高下および下落トレンドだろう。株価に支配された日銀の金融政策が、乱高下の中での下落トレンドで、利上げに動けるはずがない。もし利上げをするとすれば、円安に再度の悲鳴が上がり、政治と世間に攻撃されたときに、その攻撃を回避するためでしかない。それは金融政策の利上げではなく、組織自己防衛の利上げだ。
つまり、日本銀行は金融政策の自由度を完全に失ったのである。異次元緩和で、自ら道を踏み外し、そこから道しるべのない荒野に再度の異次元バズーカで自らの身を放り出し、株価と世間に嫌われないように魂を売ってしまった。そこへ、理屈の上でも、現在の金融政策を動かせない経済環境に世界は陥ってしまった。
日本銀行の金融政策は死んでしまったのである。
日銀というよりも、金融政策そのものが死んでしまった
一方的に、日銀を非難してきたが、実は、これは日銀のせいではない。
金融政策そのものが21世紀には死を迎えてしまったからなのである。
日本銀行が死んだのではなく、金融政策そのものが死んでしまったのである。だから、アメリカの中央銀行であるFEDも、2008年のリーマンショックなどの金融危機における救世主としてありがたがられる以外は、金融政策でうまくかじ取りができたことはないのである。
FRB(連邦準備制度理事会)のグリーンスパン議長が、1987年のブラックマンデーという株価危機を救ったことから、グリーンスパンプットという言葉が生まれたが、その後、株式投資家たちは理事長が代わる度に「バーナンキプット」「パウエルプット」、さらに今回は「ベッセントプット」(スコット・ベッセント氏は財務長官だが)とハヤし、中央銀行は株価を上げるためだけに存在するとみなし、臆面もなく中央銀行を執事のように扱っているのである。
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