ネット上に情報もたくさん、いったい何が正しいのかわからない…《悩む受験生たち》に東大に合格した僕が伝えたいこと

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例えば英語において、「音読」という勉強法があります。文章を声に出して読むことで、英文のリズムを理解しつつ、構文を理解し、リスニングの能力も高めるというものです。素晴らしい勉強法ではありますが、例えばgoogleで「音読 意味がない」と検索すると、「音読は効果がない!」というようなネットでの意見を簡単に見つけることができます。

でもだからといって、これは「音読」以外の英語勉強法にも当てはまってしまいます。「英文法の勉強は無意味」「英文解釈はやっても無駄」「ひたすら長文を読む量を積む勉強法は駄目」など、どんな勉強法も、その勉強法を批判する投稿・記事・意見を見つけることができてしまうのです。これでは、何が正しいかわからなくなる気持ちもわかりますよね。

多くの情報にアクセスできて、価値観や基準が多様であるという時代において、子どもたちが悩むのは仕方のないことなのかもしれません。

「悩むこと」は決して悪いことではない

さて、ここまで「質問が多い」とか、「生徒たちが悩んでいる場面が多い」ということを語り、それが悪いことかのように話してきて大変申し訳ないのですが、僕は「悩む」ということは決して悪いことではないと思っています。

むしろ、こんなに情報や価値観が多様化した現代において、悩まないほうがおかしいのです。悩んで迷って、苦しんで。そんな中で、きっとゴールに近づけるものなのではないか、と。他人に判断を任せるところから、自分の中で「信念」とでも言うべき価値観を見つけるために、必要になってくるステップなのではないか、と。

例えば、高校1年生くらいの生徒から、「文系か理系か、どっちに行けばいいですか?」という質問を受けることは多いです。大学受験の科目も将来の進路も大きく変わってしまう選択なので、多くの生徒は文系か理系かで迷います。もちろんこの問いに対して、結論なんて出るわけはないですし、その人なりの正解があるだけです。選んだほうを正解にするほかなく、どちらを選んだとしても「あっちのほうがよかったかな」という気持ちにはなると思います。

しかし、しっかりと「悩む」ということをしている生徒であれば、どちらを選んだとしても、そちらを「正解」にできるものです。

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