感情を出しづらい環境で「大人しくていい子」と言われながら育った直美さん。母親は50歳のときに20歳年上の男性と結婚し、中学生だった直美さんは気持ちとしてはまったく受け入れられなかったという。ただし、3人でいるときは「いい子」演じ続けた。
「その男性は1年後にがんで亡くなってしまい、母はショックでうつ気味になり、私も学校に行けない時期が続きました。何かにすがるようにビジュアル系バンドのファンになったのはその頃です」
なんとかやり過ごすように生きた高校生時代を経て、ファッションの専門学校を卒業して衣装関連の会社に就職。しかし、過酷な労働環境に耐え切れずに退職して実家に戻り、フリーターをしていた。
「男性に苦手意識がありましたが、恋愛への憧れはありました。初めて本気で男性を好きになったのもその頃です。フリーターの私にお金を借りるようなダメ男でしたけど……」
27歳で初めての結婚
自分自身を受け入れられなかったら自分を大事にしてくれそうにない男性を好きになっていた、と自己分析する直美さん。初恋の「ダメ男」とは別れ、アルバイト先の居酒屋で親しくなった同い年の料理長、壮太さん(仮名)もかなりの変わり者だったようだ。
「体重は130キロぐらいあって、冬でも裸足にビーサンで歩いたりしてました。一緒に住んでいた部屋を突然模様替えして、私の荷物がぐちゃぐちゃになっていたり……」
直美さん自身もこだわりの強さを自認している。27歳のときに壮太さんと結婚してからは、不妊治療に集中したかと思えば東日本大震災で東京脱出を急に決行。東京での独立開業を考えていた壮太さんとは離れて暮らす日々が続き、コミュニケーションを苦手とする彼との仲は次第に険悪になった。
「かつての母が私にしたように、私は彼をコントロールしようとしていました。怒った彼から『女として見られない』と拒絶され、不眠症になった時期もあります。最後の5年間は、バツイチの男性と共依存のような不倫をしていました」
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