よそ行きの服を着て去っていった母…《朝ドラ あんぱん》モデルの「やなせたかし」が幼少期に経験した"母との別れ"
あるとき、鼻腔の奥にあるリンパ組織のアデノイドが腫れてしまい、幼いやなせは切除手術を受けている。医師がメスを入れると、患部から大量の血が流れ出した。
だが、あっと言う間に真っ赤に染まった洗面器を見ても、やなせは泣かなかった。母の「泣いちゃだめ!」という声を聞いて、必死に涙をこらえたのである。
これには医師も「こんな小さなお子さんが泣かなかったのははじめてです」と驚いたという。当時をやなせは著作でこう振り返っている。
「なぜ、こんなにくわしくおぼえているかというと、母が何度もこの話をしてくれたからです。母にとっては、自慢だったようです。ボクは母がこわかっただけなのですが」
母が望むようなたくましい男になりたい。そんな思いが幼心に芽生えていたのだろう。だが、そんな母との別れは突然にやってくることとなった。
あまりに突然だった母との別れ
ある日、母につれられて高知駅から汽車に乗った。向かった先は、高知県長岡郡の後免町(現・南国市)にある伯父・寛の家だ。
前述したように、やなせの弟・千尋は父・清の死を契機に、伯父のもとへ養子に入った。しかし、予定が早まっただけで、清の生前から、千尋は寛のもとに養子に入ることが決まっていたらしい。寛は内科と小児科の開業医をしていたが、子どもに恵まれなかったのである。

この日に寛の家に到着したときも、やなせは「弟の千尋に会いにきたのだろう」と思ったに違いない。だが、寛との話し合いを終えて奥の部屋から出てきた母は、やなせにこう言ったという。
「おまえはからだが弱いから、丈夫になるまで伯父さんのところにいなさい」
お兄ちゃんなんだから、千尋にやさしくしてねーー。そう言い残して、立ち去る母の姿を千尋と一緒に見送ったのだという。
このとき、実は母は再婚が決まっていた。自分の子をかつての夫の親族に託して、新しい夫のもとへと向かったのだった。やなせはこの運命の日を、後にこう述懐している。
「そのうち迎えに来てくれると思っていたので悲しくはなく、涙も出なかった。よそ行きのきものを着て、白いパラソルをさした母を、きれいだと思った」
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