【岩手・大船渡の大規模山火事】震災乗り越えた「あわび養殖」、火災で再び試練に立ち向かう若き3代目の挑戦 「今回も必ず復活する!」

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養殖施設
地下海水をくみ上げ、いけすに送る配管が火災で焼け焦げてしまった。少なくとも一部は修理しないと使えないという。奥に見えるのが養殖施設(写真:筆者撮影)

国が激甚災害に指定すれば、設備の復旧には保険だけでなく国などの支援が受けられる可能性もあるが、「あわびは在庫でありつつ、生き物なので掛けられる保険は事実上なく、何らかの補償が受けられる可能性は低い」(翔太さん)と言う。

同社は2011年の東日本大震災でも大きな被害を受けた。綾里地区内に3カ所あった養殖施設と本社は津波で流失。パソコンや帳簿などに保存していた顧客データもすべてなくし、当然ながら施設のいけすにいたあわびも流された。損害は20億円以上に上った。

幸いにも社員は全員無事で、がれきの中から奇跡的に見つかったあわびの稚貝を育てて採卵し、そこからあわびを増やした。施設や本社を1カ所にまとめ再建を果たしたのは震災から3年後の2014年。

元正榮本水産の本社
東日本大震災の後に再建した元正榮北日本水産の本社(写真:筆者撮影)

再建したものの、出荷できるサイズになるにはそこからさらに時間がかかり、販売を再開できたのは2016年。震災から5年後のことだ。

震災前の主な取引先であった飲食店や鮮魚店との取引の再開は困難で、復興庁などの支援制度を活用して全国の商談会に出展を重ねて新たな販路を開拓し、ようやく震災前を上回る売上規模までこぎつけた。

震災時中学生の3代目が販路を拡大

新たな販路開拓の立役者が1996年生まれの翔太さんである。

古川翔太さん
東海大学で水産を学び、新卒で家業に入った古川翔太さん(写真:筆者撮影)

東日本大震災発生時は中学3年だった翔太さんは、大学で水産を学び、卒業すると同時に2019年に同社に入社した。現場で養殖技術を身に付けた後、営業担当として「三陸翡翠あわび」としてのブランド化やECサイトの開設など、一般消費者向けのギフト販売などに力を注いだ。

大阪万博関連のイベントに参加する古川さん
大阪万博の機運を高めるために復興庁が開いたイベントに登壇し、自社の復興の歩みを語る古川翔太さん(2025年2月筆者撮影)

コロナ禍の巣ごもり需要でEC経由での販売は伸び、地元大船渡では商工会議所などと連携して飲食店での提供を広げてきた。大学生のインターンや副業人材を活用した情報発信なども翔太さん主導で進めてきた。

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