鉄道の衝突事故対策はどこまで万全なのか 衝撃を吸収する「クラッシャブルゾーン」とは
戦後は火災対策という一面もあって、内装も金属あるいはプラスティック製品とした、「全鋼車」あるいは「全金属車」とよばれる構造が常識となった。デザイン面の要請から特急用車両などの内装に木が復活するのは、木材の不燃化技術が発達した平成に入ってからだ。
本来の木造車は、昭和30年代のうちには、ほとんど一掃されている。新製車に置き換えられて廃車された以上になお、多数が残っていたため、台車など部品の一部のみを流用し、鋼製の車体に載せ替える「鋼体化改造工事」も盛んに行われた。
国鉄では、車両不足対策も兼ねて、オハ60系客車が木造車の改造により3534両も量産された。1955年度までに鋼体化が完遂されたことにより、最新の特急用客車から閑散線区の普通用客車まで、車両の安全という点では完全に平等になったことは、特筆されることである。オハ60系はローカル列車向けの地味な存在であったため目立たなかったが、これは鉄道史上、画期的な出来事であったと考える。
JR東日本が採用した衝撃吸収構造
木造車が追放され、軽くて丈夫で燃えない車両に統一されると、車両設計面からの安全対策は一段落。保安装置の整備など「衝突事故を起こさない」対策へと主眼が移行した。
ただこれも、1992年9月14日に発生した一つの事故が流れを変えた。千葉県の成田線で普通列車と大型ダンプカーが衝突。国鉄が設計した113系電車の運転台が激しく圧壊してしまい、運転士の救出が困難を極めた事故である。
これを契機に、JR東日本は車体設計面からの安全対策に乗り出す。まず1993年、京浜東北線に登場した209系電車において、列車の先頭となる運転台部分の構造を大幅に強化した。
しかし、衝突事故の可能性は踏切が多い路線を高速で走る近郊型電車の方が大きい。そこで、総武快速・横須賀線用として1994年に登場したE217系で採用したのが、JR東日本独自の衝撃吸収構造である。
これは、運転台を強化するだけではなく、その背後、具体的には乗務員室扉の部分に、相対的に壊れやすい(もちろん通常の使用に対しては十分な強度を持つ)、「クラッシャブルゾーン」を設けるというもの。衝突事故に遭遇した際は、クラッシャブルゾーンが衝撃を吸収し、圧縮するように壊れることによって、運転台や客室を守るのである。
この構造は、その後、JR東日本の標準となったE231系のうち、東海道本線や宇都宮・高崎線で運用されるグループにも採用された。最新のE233系では、近郊用のみならず、すべての先頭車がこれを備えるようになっている。踏切が1カ所しかない山手線用の最新型電車、E235系も同様となった。
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