戦後になって「渡来人」の評価が一転した事情 過大評価?実にわかりにくい渡来人の実態

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白人が移住してくるまではもちろん、アメリカ先住民が完全に白人の社会に取り込まれた時期にいたるまで、アメリカ先住民は部族単位の生活を送っていた。

かれらが「私たちインディアンは……」とか、「インディアン噓(うそ)いわない」などと語る場面は、白人がつくる西部劇のなかだけのものである。かれらのなかには現在まで、

「私は○○族の流れをひくアメリカ人である」

と考えている者も多い。それゆえ、歴史的に見れば「アメリカ先住民」とされる人びとを、部族名で「アパッチ族は……」と呼ぶのが正しいのであろう。

それでも北アメリカの報道機関(マスコミ)などは、学術的な特別の記述以外は現在でも「アメリカ先住民」の言葉を用いている。

ところで、筆者は前項で、古代日本は東漢(やまとのあや)氏、秦(はた)氏などをまとめて「渡来人」と呼んだ例はまったくないことを示しておいた。

それゆえ私は、渡来系と称した豪族をアメリカの「アパッチ族」「スー族」などの呼び方にならって東漢氏、秦氏などの個々の氏で表記するのがよいと考える。そのうえで、個々の氏をそれぞれ自立したものとして扱うのが妥当である。その意味で、本書の以下の記述は、なるべく「渡来人」のような用語を用いないように気をつけて進めることにしよう。

他に、朝廷が東漢氏、秦氏などをまとめて「蕃別(ばんべつ)」「諸蕃(しょばん)」と呼んだ例はある。しかし、その言葉は、渡来系と称した豪族(以下「渡来系の豪族」とする)の特別な役割が失われた平安時代になって、初めて出てくるものだ。

なお、ここまでの記述では、「帰化人」と「渡来人」の言葉が、日本古代史の研究者の特別の意図によってつくられたものであることを強調するために、帰化人と渡来人の語に「 」をつけた。次項からは、不必要に煩雑になるのを避けるために、帰化人と渡来人の「 」を省略することにしよう。

戦後、渡来人の評価が一転した

戦前には、日本古代史は王族や名門とされる有力豪族を主役にして書かれてきた。それは、『古事記』や『日本書紀』の記述にそのまま従ったものである。これは『古事記』や『日本書紀』のもとになった『旧辞(きゅうじ)』が王家の歴史を描いたものであったためである。

『日本書紀』には、飛鳥時代に相当する欽明(きんめい)天皇の時代から、持統(じとう)天皇の時代にわたる政治史に関する詳しい記述がある。そこではヤマト政権の有力者たちのさまざまな活躍が、生き生きと描かれている。

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