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竹下通りを行く若者。いつの時代も混雑している(写真:1990年4月20日、東洋経済写真部撮影)
この頃しみじみと感じるのは「昭和は遠くなりにけり」ということだ。昭和最後の年1989(昭和64・平成元)年からすでに36年が過ぎ、当時を知らない世代も増えている。
このほど、今年で設立130周年になる東洋経済新報社の写真部に保管されていた昭和の街角写真がデジタル化された。本連載では、そこに写し出されている風景から時代の深層を読み取っていく。
第6回となる今回は、いつの時代も大混雑している「竹下通り」の写真を紹介する。
第1回:『60年前の「アジアっぽい東京」が今の姿になるまで』
第2回:『40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで』
第3回:『「家電→PC→メイド喫茶」秋葉原"主役交代"の歴史』
第4回:『焼け野原だった「歌舞伎町」が大歓楽街になるまで』
第5回:『百貨店「華やかなりし20世紀」と現在の残酷な明暗』
第2回:『40年前の「牧歌的な渋谷」が外国人の街になるまで』
第3回:『「家電→PC→メイド喫茶」秋葉原"主役交代"の歴史』
第4回:『焼け野原だった「歌舞伎町」が大歓楽街になるまで』
第5回:『百貨店「華やかなりし20世紀」と現在の残酷な明暗』
いつの時代も“ティーンが目指す街”竹下通り
原宿は、渋谷、銀座、築地、浅草などとともに外国人観光客が目指す、東京の代表的観光地。そして、日本全国から集まるティーンエージャーたちでも日々賑わっている。
彼らの原宿での目的は、道を歩きながら食べられるストリートフード、日本独特の“カワイイ”カルチャーの服やグッズのショッピングなど。特に外国人観光客には、原宿に出没するロリータファッションや、コスプレ姿の女の子たちを見るという目的もあるらしい。
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(写真:1998年3月16日、尾形文繁撮影)
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現在の竹下通りのようす(写真:2025年2月、筆者撮影)
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