天明6(1786)年、そうして重三郎が仕掛けた狂歌絵本『吾妻曲狂歌文庫』(あずまぶりきょうかぶんこ)が世に出されると、たちまち大ヒットとなる。
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自分の読みが正しいとわかれば、第2弾を出すのは、今の出版業界でも定石だ。重三郎は続いて、狂歌師の数を100人にした『古今狂歌袋』(ここんきょうぶくろ)をリリースし、またもヒットを飛ばすこととなった。
喜多川歌麿を浮世絵師として売り出す
狂歌ブームに自ら身を投じて、さまざまな出版物を展開した重三郎。狂歌絵本で絵を描いてもらった一人、喜多川歌麿を浮世絵師として、売り出していくことになる。
【参考文献】
鈴木俊幸『蔦屋重三郎』 (平凡社新書)
鈴木俊幸監修『蔦屋重三郎 時代を変えた江戸の本屋』(平凡社)
倉本初夫『探訪・蔦屋重三郎 天明文化をリードした出版人』(れんが書房新社)
後藤一朗『田沼意次 その虚実』(清水書院)
藤田覚『田沼意次 御不審を蒙ること、身に覚えなし』(ミネルヴァ書房)
真山知幸『なにかと人間くさい徳川将軍』(彩図社)
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