まるで鉄道模型?小さな列車「軽便鉄道」の記憶 線路幅の狭い「ナローゲージ」の懐かしい姿
最後に触れておきたいのが、沖縄にあった軽便鉄道だ。
現在はモノレールのみの沖縄だが、戦前は鉄道が存在した。県営の軽便鉄道で、那覇と与那原を結んだ与那原線をはじめ糸満線、嘉手納線があったが、第二次大戦末期に沖縄が戦場と化し、それらの鉄道も戦火の中に消え、再び走ることはなかった。
筆者は以前からこれらの鉄道跡を訪れていたが、2003年のゆいレール開業と同時に那覇市の鉄道史家、故・ゆたかはじめ氏の助言を受け本格的に廃線跡を巡るようになった。
沖縄の「ケービン」残っていた糸満駅跡
戦前、日本最南端の鉄道「沖縄県営鉄道」軽便(ケービン)は、アメリカ軍との地上戦により壊滅した。その痕跡を求めて何度も糸満を訪れたとき、2010年2月に糸満郊外にコンクリート橋台と、それまで駅跡が不明だった糸満駅の厠・トイレを住宅地のわずかな空間に発見した。ともにアメリカ軍の銃弾を浴びて弾痕が痛々しい。トイレは土台の上は戦後コンクリートブロックで補修されていたが、男女便器とも残っていた。
沖縄に移住して沖縄の鉄道を研究し、那覇国際通りにトラムの誘致に熱心だったゆたか氏は、私の糸満駅跡発見をとても喜んでくれ、数年後郷土史家と確認に行ったところ、すでに住宅地になり駅跡は痕跡を残していなかったという。
沖縄県営鉄道は沖縄のお年寄りから「ケービン」と呼ばれ、再検証もされている。沖縄の鉄道史はとても一篇では語れない。今回は各地の軽便鉄道について触れたが、いずれの機会にこれまで取材した沖縄のケービンに関する記録も紹介したいと思う。
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