日本人が知らない、ルーマニア鉄道の「20世紀感」 インフラ整備進まず残る「古きよき欧州」の面影
温暖化対策にさまざまな形で取り組んでいる欧州では、鉄道の復権が著しい。新しい夜行列車の導入をはじめ、西欧での主要都市間の移動手段は、鉄道が航空機に取って代わるようになってきた。
一方、かつての冷戦時代の枠組みで「東欧」とされた国々の鉄道インフラは、発展した国もあるものの近代化の波から取り残されているように見える。ルーマニアの鉄道には、20世紀末期の懐かしい風景が残っている。
冷戦時代より遅くなった鉄道
ルーマニアの鉄道は意外なほど歴史が長い。明治維新より10年以上前の1850年代には、現在のルーマニア領内に鉄道が敷設され、旅客輸送が始まったと記録されている。当時、ルーマニアの一部はハプスブルク家が栄華を極めたオーストリア帝国領で、鉄道はウィーン方面に石炭を運ぶために敷かれたものだった。
1880年には、近年まで鉄道運営組織の母体として機能した、ルーマニア国鉄「カイレ・フェラテ・ロムネ(CFR)」が開業。その後も着々と路線網の拡大が続いた。第2次世界大戦後、ルーマニアは旧ソ連が主導するいわゆる「東側陣営」に取り込まれたが、鉄道インフラへの投資は積極的に行われた経緯がある。
1989年秋のベルリンの壁崩壊が引き金となり、東欧諸国の体制変化の波はルーマニアにもなだれ込んだ。冷戦終結後、社会の自由化という大きな変革が起きたものの、残念なことにルーマニアの財政は常に窮乏した状況が続いた。
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