「実家は八百屋をやっていました。僕も20代のころには、朝3時に中央市場に行き、昼の12時に家に帰ってきて、夜中まで働く生活をしていましたね。正月の4日間とお盆の2日間だけが連休、そんな感じでした」
幼いころから両親と一緒に食卓を囲んだことも記憶にないくらい、八百屋の仕事は忙しかった。朝倉さんもその背中を見て育ち、自身も家業を継ぎ、多忙のなか27歳で結婚。28歳のときに娘、30歳のときに息子が生まれたが、当時は忙しすぎて子育てにまったく参加しなかった。
「記憶に残っているのは運動会や音楽会くらい。結局、30代前半で青果商は廃業して個人で運送業を始めました。でもそれも続かず、初期投資の借金が残ってしまって。30代なかばからは転職を繰り返しながら借金を返済していました」
そして、40代前半で離婚に至った。
三畳一間・風呂なしアパートで毎日うどんの生活
「後ろ指を差されるようなことだけはしたくない」という思いがあり、借金の返済と、別れた子どもたちへの養育費ほか教育費の支払いだけは絶対に果たそうと決意していた。
三畳一間・風呂なしアパートに住み、最大限に自身の生活費を切り詰めた。「給料は全部、養育費はいくら、借金はいくら、生活費はいくら、って言いながら袋に入れていったら、ほとんど残らなかった。毎日うどんのときもありました。それが4〜5年続いたかな」
40代にしてその生活はさぞ苦しかっただろうと思いきや、「大変でしたけど、友達を家に呼んで鍋したりして、楽しかったですよ。昔から、人のことを気にしてうらやましいと思ったことがない。『自分が楽しければ、それでいい』っていう感覚が強いです」と、明るく軽やかに語る。
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