宮崎県延岡市にミャンマー人が押し寄せる理由 「民」から始まった地方都市とミャンマーの交流
整形外科や介護施設などを運営する医療法人社団光学堂の佐藤豊子理事は、10年前に初めてミャンマー人をホームステイに受け入れました。当時はまさか自分の会社にミャンマー人を受け入れることになるとは思っていなかったと言います。
しかし、昨今の人材不足を背景に2024年1月には新たにミャンマー人3人を迎え入れました。佐藤理事はホームステイから得た経験で「ミャンマーの人は、日本の人と生活習慣も食生活もそれほど変わらない」と好印象を持っていたこともあり、とくに不安なく受け入れが進められたと語っています。
宮崎大学の前学長で、現在は九州医療科学大学の学長の池ノ上克さんは「民間レベルでまずできることを動かす。その後、官には大きな期待をせず、止められない程度で十分ぐらいの気持ちでいることが肝要」と語っています。
全国の主要大学がミャンマーの国立大学と提携を模索する中、宮崎大学にはミャンマーの主要大学の学長や教育省の閣僚や官僚が次々と訪問するなど、ミャンマー政府にとっては特別な大学という位置づけになっています。
交流の底堅さは民から始まったゆえ
2025年を迎え、石破茂首相は急速に進む日本の人口減少について触れ「地域の活力や経済の活力が低下している。この状況を打開するため、地方創生を起動し、東京一極集中を是正することで、多様な国民の幸せが実現できる日本を作りたい」と決意を表明しました。
ミャンマーで最も有名な地方都市の1つ「延岡」。富山さんをはじめ商工会議所や企業が中心となって民間レベルで腰を上げ、そこから市議会や市役所、県の行政、小中高校、大学、医療福祉団体を巻き込みました。
さらに市民の協力も得ながら、時間をかけて持続可能な国際化を見据え継続的に地方創生に取り組んでいます。多くの団体や人々を巻き込むには多大な時間と、誰にでも理解しやすい共通の理念が必要です。MJCの田中雅彦チーフアドバイザーは、延岡とミャンマーの成功のポイントについて、以下の4点を挙げています。
②若手起業家から商工会議所、そして延岡市へと展開される中小企業経営者主導の取り組みであり、官主導ではないこと。
③短期的かつ一方的な関係構築ではなく、長期的・相互発展を目指した関係性の構築を志向していること。
④双方の調整を担うキーパーソンの存在が重要であること。
「ここにたどり着くまで10年かかりました。今は『ノベオカフェ』を延岡に作り、延岡にミャンマーのアンテナショップを作る準備を進めています」と延岡・ミャンマー友好交流の立役者の富山さんにはまだまだやるべきことがあるようです。
延岡市の取り組みには、地方創生のヒントが多く含まれているのです。
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