成功すれば莫大な富を手に入れられたが、リスクがあまりに大きいので、投資家たちはスパイスの獲得競争に資金を投じることに尻込みした。しかもこの投機的な事業が失敗した場合、投資家は出資金だけでなく、自分の全財産(家屋敷から家具、果ては鍋の類いまで)を失う恐れがあった。事業の負債を全額返済しなくてはならなかったからだ。専門的な言葉でいえば、彼らは無限責任を負っていた。
そのうえ事業の失敗は、自由の剥奪につながることすらあった。全財産を売却しても、負債を返し切れなければ、債務者は刑務所送りになったからだ。
投資先を探している者たちも、当然、スパイス貿易のようなリスクのきわめて高い事業にはなかなか手を出せなかった。そこで解決策として取り入れられたのが、投資家の責任を有限にするという方法だった。これにより投資家たちは、自分が事業に出資した部分(「株式」)だけに責任を負えばよく、自分の全財産を債務の担保にする必要がなくなった。
これは投資家のリスクを大幅に軽減し、ハイリスクの事業を立ち上げようとする者たちが、おおぜいの投資家から出資を募ることによって、莫大な資金を調達できるようにした。
こうして誕生したのが、英国東インド会社(1600年設立)やオランダ東インド会社(1602年設立)といった企業だった。両社は世界初の有限責任会社ではないが、「東インド」のスパイスをヨーロッパに運ぶ事業を成功させ、のちにはそれぞれインドとインドネシアを自社の植民地にすることで(植民地は当初は国ではなく、企業の所有物だったのだ)、有限責任という制度を有名にした。
有限責任によって資金が獲得しやすく
有限責任は今では当たり前になっているが、19世紀までは、遠隔地との貿易や植民地の拡大など、国益にかなうリスクの高い事業にのみ、国王から─絶対王政の廃止後は政府から─授けられる特権だった。
当時は、そのような例外的に認められるケースも含め、有限責任という手法には懐疑的な者が多かった。経済学の父、アダム・スミスもそのひとりで、有限責任会社は経営者に「他人の金」(スミス自身の言葉)でギャンブルをさせるものだと批判した。
スミスにいわせると、有限責任の経営者は自社の完全な所有者ではなく、失敗してもすべての損失を引き受ける必要がないので、むやみにリスキーなことをしやすかった。
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