あなたの街のイトーヨーカドーが閉店した必然 総合スーパーの非食品売り場にダイソーなど進出
それに比べて、首都圏の店は津田沼店を例外として、多くは引き受け先がすぐには決まっていない。これはそのほとんどが1970年代、80年代に出店した40~50年経過の老朽化店舗であり、ハードとして古いことに加えて、郊外の駅前の多層階店舗が多く、今のスーパーの立地や箱として適していない、ということが要因だろう。
これらの店ができた時期、モータリゼーション(車社会化)は進み始めてはいたが、公共交通網が充実している首都圏においては、地域住民の買物動線のハブは駅であった。
そのため、スーパーは、駅前一等地に狭いながらも場所を確保し、その代わり多層階にして、多様な商品群を品揃えするというスタイルが一般的だった。しかし、40~50年たった今、駅前の人通りは減っていないものの、食品以外のまとめ買い、というかつての総合スーパーのワンストップショッピングニーズは、郊外ロードサイドに増えたさまざまな商業施設に代替されるようになった。
幹線道路沿いに広い駐車場を持ち、カートで買い回りしやすく、物販以外にシネコンや子供の遊び場も備えた大型ショッピングモールに行くほうが、土日を楽しく過ごせる。これは、皆さんも体感していることであろう。
老朽化店舗にちょっと手を入れただけでは、もう勝てない、というのが現状だ。人口減少の見込みが少ない首都圏で閉店した店舗のほうが、引き取り手が決まらないのは、「古い総合スーパータイプの店は誰がやってもうまくいかない」と業界の大多数が思っているからでもある。
首都圏駅前の一等地を押さえていたヨーカ堂
ただ、そんな環境変化に対して、ヨーカ堂はなぜ今まで手をこまねいていたのか、という疑問が残るだろう。これは、東京の老舗スーパーであるヨーカ堂が、首都圏駅前の一等地を数多く押さえていた、ということに起因している、と考えられる。
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