「追い込まれてから本気出す人」のおそろしい顛末 当たり前になっている人は"落とし穴"にはまりやすい
私だったら「いえーい!」と叫んで勝利に浮かれつつも、追われる立場となったことへのプレッシャーを想像して顔を真っ青にしていただろう。
しかし、スポーツなどの勝負の世界に広く目を向けると、圧倒的な実績や強さを持つ人たちは、藤井氏と同じような質問をされると皆共通して「これまでと変わらない」「いつも通り」といった主旨のコメントを残しているように思う。
つまり、圧倒的な実績や強さを持つ人たちは、目の前の勝負や活動に、都度特別な思い入れを持っていないのだ。むしろ、継続性や持続性、普段の平常心を重宝し意識しているように感じられる。
これはなぜか?
継続性のあるガソリンを取り込もう
それは、彼らが自分を勝利や成功に導く「ガソリン」を理解しているからに他ならない。
ここで言う「ガソリン」とは、メンタルを「エンジン」に例えた時に燃料となるもののことだ。
本連載で度々説明してきたことだが、まず人間のメンタルを動かすためには「着火剤」となるきっかけが必要で、さらにそれを動かし続けるためには、エンジンにとっての「ガソリン」になるものを供給し続けることが必要だ。
時として人間は焦燥感や孤独感、憤怒など、負の感情や意識をガソリンにすることで、結果を出せてしまうことがある。
それは例えるなら、冒頭で説明したドーピングのようなものだ。いわば精神のドーピングである。
目の前の勝負に向けて、徹底的に自分を追い込み、負荷をかける。すると追い詰められたメンタルは必死に体と脳を動かし、無理をして結果を出そうとする。
そこで結果を残すと、それが癖になってしまう。これが何より厄介だ。
自分のメンタルや肉体を犠牲にして、毎度結果を残す。そんなことが持続できるはずがない。すぐに心も体も壊れてしまうだろう。
つまり、負のエネルギーを使うことは、瞬発的な効果は見込めるものの、長い目で見ると人間にとっての正しいガソリンではないのだ。