
どのような気持ちで日々を送っているのだろう
宇治の邸は確かに、聞いていたよりもずっと身に染みるようなさみしさだった。宮の暮らしの様子をはじめとして、たんなる仮の宿といった風情の草の庵(いおり)である上に、宮の人柄を思うせいか、邸の何もかもが簡素に見える。同じ山里といっても、そうした山荘として心惹かれるようなのどかなところもあるのに、ここはじつに荒々しい水の音、波の響きで、昼はもの思いを忘れられそうもなく、夜はやすらかに夢を見ることもできそうもないほどすさまじく風が吹き荒れている。聖然とした宮自身にとっては、こうした住まいも俗世の未練を断ち切るのにはいいのだろうけれど、姫君たちはいったいどのような気持ちで日々を送っているのだろうか、世間並みの女らしくやさしい雰囲気とはほど遠いのではないのだろうか、とつい想像せずにはいられない住まいである。
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