過去をたどると、大阪から名古屋へ渡り、「本気になった」とまりえ(41)さんは言う。
ただ、当初から順風満帆だったわけではない。そこには、紆余曲折があった。
メジャーデビューで「年齢」を前面に
大阪を離れたきっかけは、名古屋のテレビ局で放送されたアイドル番組のオーディション。ユニット結成のため、番組側が目をつけたのが「大阪のソロアイドル」だった。
まりえ(41)さんだけではなく、彼女の活動を支えている現所属事務所であるトイプラの代表・へなぎ氏、ゆぼ氏の3人はチャンスと確信。自分より若い候補者に囲まれたオーディションで、30代の「ネタ枠」として合格した。
しかし、ユニット結成後「お前はユニットではなく、ソロ向きだ」と言われ、やむなく脱退することに。名古屋の地で、再びのソロアイドル活動に戻った。
そのころ、へなぎ氏の意向で、事務所設立を決意。
メンバー募集の呼び水として「メジャーアーティストが必要」と考え、へなぎ氏みずからが貯金を切り崩し、まりえ(41)さんをメジャーデビューさせた。
メジャーデビューシングル『EMPTY∞world』リリースとともに、まりえに続いて「(年齢)」を表記する形へと「改名」。
ステージに立ち続けるアイドル界で、比較的高齢な立場を「ウリ」として、アピールしようと決めた。
ただ、CDデビューを果たしたとはいえ、成功するとは限らないのがアイドル界のリアルでもある。
それこそ、メジャーデビューシングルのリリースイベントで、客席にいたのは4人だけ。そのうちの1人は「通りすがりのおばあさん」だったという。
ソロアイドルは、毎回のリリースが「修行」であり、発売記念のイベントでは、つねに「誰か来てくれるだろうか」と不安もある。その思いは、キャリア15年目の現在も変わらない。
それでもなお、まりえ(41)さんは活動を続けている。
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