「"41歳"現役アイドル」"集客力"なくても活躍の訳【再配信】 年200本出演!「逆境」をプラスに変える生き方

✎ 1〜 ✎ 51 ✎ 52 ✎ 53 ✎ 54
著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

過去をたどると、大阪から名古屋へ渡り、「本気になった」とまりえ(41)さんは言う。

ただ、当初から順風満帆だったわけではない。そこには、紆余曲折があった。

メジャーデビューで「年齢」を前面に

大阪を離れたきっかけは、名古屋のテレビ局で放送されたアイドル番組のオーディション。ユニット結成のため、番組側が目をつけたのが「大阪のソロアイドル」だった。

まりえ(41)さんだけではなく、彼女の活動を支えている現所属事務所であるトイプラの代表・へなぎ氏、ゆぼ氏の3人はチャンスと確信。自分より若い候補者に囲まれたオーディションで、30代の「ネタ枠」として合格した。

しかし、ユニット結成後「お前はユニットではなく、ソロ向きだ」と言われ、やむなく脱退することに。名古屋の地で、再びのソロアイドル活動に戻った。

そのころ、へなぎ氏の意向で、事務所設立を決意。

メンバー募集の呼び水として「メジャーアーティストが必要」と考え、へなぎ氏みずからが貯金を切り崩し、まりえ(41)さんをメジャーデビューさせた。

ほかのアイドルを見て「自主的に歌やダンスを研究した」と初期を振り返る(写真:まりえ(41)さん提供)

メジャーデビューシングル『EMPTY∞world』リリースとともに、まりえに続いて「(年齢)」を表記する形へと「改名」

ステージに立ち続けるアイドル界で、比較的高齢な立場を「ウリ」として、アピールしようと決めた。

ただ、CDデビューを果たしたとはいえ、成功するとは限らないのがアイドル界のリアルでもある。

それこそ、メジャーデビューシングルのリリースイベントで、客席にいたのは4人だけ。そのうちの1人は「通りすがりのおばあさん」だったという。

ソロアイドルは、毎回のリリースが「修行」であり、発売記念のイベントでは、つねに「誰か来てくれるだろうか」と不安もある。その思いは、キャリア15年目の現在も変わらない。

それでもなお、まりえ(41)さんは活動を続けている。

次ページ「アイドル界のマツコ・デラックスさん」
関連記事
トピックボードAD
ライフの人気記事