「ノウハウを欲しがる病」で可能性が潰されている 成功や失敗という概念はそもそも「空虚」だ

著者フォロー
ブックマーク

記事をマイページに保存
できます。
無料会員登録はこちら
はこちら

印刷ページの表示はログインが必要です。

無料会員登録はこちら

はこちら

縮小

成功/失敗にこだわったのは、「神の予定によって救われるべき人は必ず自分の職業が神から召(め)された天職だと確信されていなければならない、その職業において成功し、豊かになっていなければならない」と説いたドイツの神学者マルティン・ルターや、「信者が神によって救われているかどうかはその人の仕事の成功の有無ではかられる」としたフランスの神学者ジャン・カルヴァンだ。

その教えは宗教の要素として広まり、清教徒がアメリカに渡ったためアメリカで広まり、そのアメリカに戦争で惨敗(ざんぱい)した日本がアメリカ化されたために成功/失敗スケールを盲目的に取り入れて軽率(けいそつ)にも自分たちの倫理としてしまい、今では内容の貧弱なビジネス本やコンサル本が従業員の教科書と化して成功/失敗スケールを蔓延(まんえん)させている。

固着観念=固定観念とは空疎なもの

ところが、成功や失敗という概念は最初から内容が空虚なものだ。誰かが行った行為が成功であったのか失敗であったのか判断することは不可能だからだ。

しかし、ビジネス界での成功と失敗には明確な基準がある。売り上げと儲けが半期ごとに大きかったほうが成功なのだ。つまり、成功と失敗はカネの多寡(たか)のことでしかないわけだ。それをもっと煮つめると、経営者と株主を裕福にすることが成功だということになる。要するに、ここにおいても成功と失敗はその表現の内容に有意義な意味がない空疎な概念なのである。

また、成功/失敗の固着観念の他に、遺伝、伝統や血筋というのも特に日本人の多くが持っている固着観念だ。

遺伝として才能や行動まで受け継がれると信じこんでいる人があまりにも多すぎる。そもそも遺伝とは親の形質が子に受け継がれていくことしか指していない。もちろん、血液は形質だから遺伝するが、高貴な人の血が受け継がれるという奇妙なことはない。なぜなら、その場合の高貴とはたんに人それぞれの主観的な形容詞の一つにすぎないからだ。

次ページ成功は善、失敗は悪という奇妙な倫理
関連記事
トピックボードAD
キャリア・教育の人気記事