「本心」描く"故人を蘇らせるAI"は実現可能なのか 母親が蘇って、知らなかった側面が明らかに
――本作のメガホンをとった石井監督は、「"心"というのは不思議なもので、受け手がどう捉えるかどうかによって変わるもの。仮にずさんなテクノロジーだとしても、受け手によっては心を感じる」とおっしゃっていました。まさにこの映画のテーマでもあると思うのですが、将来、AIは人間の心をつくれると思いますか?
(石井監督も言うように)そうだと思います。それもまさにこの映画の中で十分に語られていると思いますが、結局それを「人の心」と思うかどうかというのは、そこに向き合ってる人の中にそれが芽生えるかどうかだと思います。
故人の心を見いだしたい欲求
これは仏壇だろうが、墓石だろうが、お盆という行事だろうが、目指していることは同じことではないでしょうか? たとえばお盆になると、亡くなったご先祖さまが帰ってくるといって、お供え物の準備をしたり、火をたいたりしますよね。
それはおぼろげながらも、そこに故人の心を見いだしてるわけです。もしくは見いだしたいという欲求があるわけですよね。
(池松壮亮演じる)本作主人公の朔也の場合は最新のテクノロジーの力を借りて、朔也の心の中にそれが起きたのではないでしょうか?
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