「幸せになってほしい」は"有害な言葉"である理由 人生が「なぜか満たされない」ものになる本当の訳

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永遠の幸せを求めることはスモール・トラウマになり得ます。なぜなら、そうすると人は生涯、自分は何かが足りないと思い続けることになるからです。両親があなたに望むものを、あなたが決して手に入れられなかったら、あなたは完全な敗北者なのでしょうか?

いえ、そうではありません。だからこそ、幸福の作用を正しく理解することがきわめて有益なのです。

快楽の踏み車

「快楽順応」は「ヘドニック・トレッドミル(快楽の踏み車)」とも呼ばれ、幸福感は経験するたびに薄れていくことを指します。幸福感を追い求めるのは、先ほどのチョウを捕まえようとするのに等しく、これを「虹を追う」と表現する人もいますが、その表現は必ずしも正しくありません。

なぜなら幸福感は実際に経験できますが(チョウを捕まえることは可能です)、虹を追いかけても、それを摑むことは決してできないからです。幸福は幻影ではなく、現実に経験することなのです。しかし、束の間、幸福感に満たされても、すぐ元に戻ってしまう、というのが快楽順応の考え方です。さらに言えば、人は、同じ源泉からもたらされる幸福感に慣れ、時とともにその幸福感は薄れていきます。

これについて調べた優れた研究がいくつかあります。その1つは、途方もなくラッキーな経験と、逆に命が縮まるような経験の後で、幸福感がどうなるかを調べました。前者の例では、宝くじに当たった1年後、当選者たちの人生に対する満足度は、当選前に比べてわずかに高いだけでした。実質的に不幸になり、当選しなければよかったと言う人もいました。一方、後者の例として、大きな事故に遭って半身不随や四肢麻痺になった人たちは、自分の幸福度は同年代の人々よりやや低いだけだ、と報告しています。

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