ハイエクは不況を必要悪と見なしていた。ハイエクにいわせれば、危機前の政府の政策が、金利を過度に低下させ、企業に無分別な借金をさせたのであり、危機に直面して倒産したのは、そのような浅はかな企業だった。
不景気は予防できる病気というより、飲みすぎたあとに必ず見舞われる二日酔いのようなものだというのがハイエクの考えだった。
このふたりの分析からはそれぞれ道徳的なメッセージも容易に読み取れる。
ハイエクにとって、不況とは悪い投資を一掃するものだった。ケインズは不況を不必要な苦しみと見ていた。ハイエクにとって、政府の介入は事態を悪化させるだけのものだった。
ケインズは、経済循環をなだらかにするうえで、政府には果たすべき重要な役割があると考えていた。ハイエクは、民主的な政府が人々の自由を侵すことがあることを懸念する一方、場合によっては、一時的な独裁も必要だと主張した。
まったく対照的だったハイエクとケインズ
ふたりは私生活の面でも対照的だった。ハイエクは厳格な人柄で、オーストリアが戦争に敗れ、経済的に苦しんでいた時代に、冷淡な両親に育てられた。そのせいか愛想がなく、人と打ち解けなかった。ある伝記によると、親しい友人は生涯で3人しかいなかったという。
一方、ケインズは自信に満ちあふれていた。経済学の勉強は空き時間にする程度で、ある試験で赤点を取ったときには誇らしげに次のようにいった。「出題者はぼくよりもはるかに経済学のことを知らないようだ」。
ケインズはピカソやルノワールやマティスの収集家でもあり、大金持ちの投資家だった。性交渉の日記もつけていた。
その日記には、1909年に65人、1910年に26人、1911年に39人といった具合におおぜいの男や女との性交渉の記録が綴(つづ)られている。
実際、ケインズの柔軟な精神やリベラルな世界観は彼の趣味の幅広さに支えられていたものだったといえるかもしれない。人づきあいにも長け、妻リディアとともに、英国の作家や画家の集まりであるブルームズベリー・グループの一員だった。
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