みんなが「得を感じられる」政策こそが必要だ!--行動経済学からみた年金問題の解決法

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同時に、変化が重要だから、今まで年金をもらいすぎているのを減らす、というのは正当性がありそうだが、実は望ましくない。いったんもらっているものを減らすという、マイナスの変化は大きな痛みと感じられるからである。

だから、払いすぎたのは失敗であっても、それを取り戻すことはできない。過去に払いすぎた分だけでなく、制度的な予見性として、これからもらえると期待させてしまったものを、その期待を下回るものに変更すると、まだ実際に給付を受けていなくとも、痛みを大きく感じることになる。

ここでは、実際に生活設計を固定してしまっているかどうかは関係ない。高い老人ホームに入ってしまって維持費が払えなくなる、という議論ではなく、「期待」の問題なのであり、だからこそ難しい。

これで明らかなように、年金問題の解決の困難性は、過去の空約束、つまり「国民全員がそれだけできちんと生活できるぐらい年金がもらえます」というもので当時の世代の期待値を高めたまま、負担の期待値を上げなかったことからきている。
 
 得のパイを空約束で広げ、損のパイは政治的な敗北が怖いので、広げなかった。それをいまさら、負担を増やし、給付を減らす、と言っても通らない。給付が減る人も負担が増える人も、期待を裏切られたすべての人にとって損になってしまうからだ。

したがって、人口動態が予想外だったとか、経済が予想外に悪かったとか、そういう言い訳は通用しない。若年人口が減れば年金が減るという、期待を変化させるようなメカニズムをインプットしておかなければならなかったのである。

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