中国は、戦争の大きな目的を掲げることが大国としてふさわしいことだと考えたのだろう。歴史的には、第二次世界大戦が終わった時点では共産党軍は地域的な勢力に過ぎなかったのだが、ロシアとともに「反ファシズム」を戦ったというシナリオであれば、中国は以前から、第二次世界大戦の時から大国であったかのような印象になるからだ。
現在進めている歴史戦略については、行き過ぎも表れている。
たとえば、毛沢東の長男で後に朝鮮戦争で戦死する毛岸英がベルリンに攻め込んだ部隊に参加していたという作り話が出回ったことがある。しかし、そういう事実はなかったという批判がインターネットなどで流されたことから、この話は消えた。また、1943年のカイロ会談に出席した蒋介石の写真が毛沢東にすり替えられたこともあった。
戦争の位置づけが定着せず
共産党が戦争勝利について語ることの矛盾を理解しているからこそ、無理なことをせざるをえないわけだ。このようなあからさまな歴史の書き換えは、語るに落ちるものである。
ここで注目すべきは、穏健な歴史観の再構築にも腐心しているようにみえることだ。中国では、長らく使ってきた「抗日戦争」と呼ぶのではなく、「反ファシズム」「反帝国主義」のほうがよいとする説がある。日本と戦った主体は中華民国であるが、ファシズム、帝国主義と戦ったのは共産党軍である、と説明すれば、整合的になるからだ。
ただし、この考え方はまだ完全には確立していない。今回の習主席の演説でも、「抗日」と併用されている。とはいえ、戦争目的を戦略的見地から拡大あるいは調整していることがうかがえる。
日本では、ロシアにおける対独戦勝記念と中国における対日戦勝記念を相似形で見る傾向がある。北京での記念行事への出席を安倍晋三首相が求められた際、ドイツのアンゲラ・メルケル首相がモスクワでの行事を外して訪ロした例にならうのがよいという考えがあったのもその表れだ。が、「反ファシズム」「反軍国主義」の大傘の下で対日戦勝や対独戦勝を記念し、またそうすることによって大国としての地位を固めようとする習主席の戦略がある限り、そのような皮相的な対応は禁物だ。
もちろん、中国としても大国化戦略だけで日本に接しているのではなく、対日関係の重要性も認識している。一般論としては、将来、戦勝記念を和解促進の機会として役立たせることもありうるだろう。和解はもちろん日本側でも努力すべきことである。しかし、北京での行事がそのようなものになるにはまだ一定の時間が必要だろう。日中関係の改善は、とくに政治面では、一筋縄ではいかないかもしれない。
とはいえ、国と国の関係は政治がすべてではない。経済面で中国はすでに日本とも、米国とも、そのほかの国とも相互に依存しあう関係になっている。近々行われる予定の日中韓3国の首脳会談では、政治問題について真摯に話し合うこともさることながら、経済問題について積極的に話し合うことが期待される。経済は合理性を要求するので政治的な意図に基づく主張の制約要素となるのだ。今後の日中関係の改善のカギとなるのは、両国がまず経済面で冷静に話し合うことだ。そのことをベースとして、3国がともに安定的に発展できる方策を模索するべきである。
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