中華民国が3日を記念日としたのはその日を祝日としたからであるというのが普通の説明であるが、なぜその日を祝日としたのかよくわからない。西側諸国は2日をVJ day(Victory day against Japan)として、節目に記念行事を行なっている。
中国は、中華民国にならって対日戦勝記念日を9月3日としたのだろう。そのせいか、9月3日を記念日とすることはなかなか定着せず、同じような決定が1951年、1999年、2014年と何回も行なわれた。これだけでも異常だが、2005年に中国外交部スポークスマンが、中国は以後8月15日を抗日戦勝記念日とすると公に説明したこともあった。今でもインターネット上では8月15日説が唱えられている。
このような中国の不確かな対日戦争勝利記念についての考えを一変させる機会となったのは、今年5月9日に行われたロシアにおける対独戦勝記念行事であった。
旧ソ連の崩壊後、ロシアは1990年代を通じて対独戦勝記念行事を控えめになっていた。ところが、プーチン大統領は2005年の60周年に際して大規模な祝賀行事を復活させ、軍事パレードも行った。西側からは小泉純一郎首相(当時)を含む各国首脳が出席した。しかし今回は、ウクライナ問題の影響を受けてモスクワでの記念行事に米欧の首脳は出席しなかった。
他の戦勝国との連携に必死
中国からは、2005年にも胡錦濤国家主席が出席した。ところが、中国は対独戦には参加していないことから、主賓としての扱いは受けなかった。しかし、西側の首脳が出席しない今年の記念行事は違っていた。中国の参加はホスト国のロシアからも重視され、夫人とともにプーチン大統領の右隣に着席した習主席は注目を集めた。「主賓」と呼んだ報道もあった。また、中国の儀仗兵が行進に参加し、パレードを盛り上げた。
実は、習主席はモスクワへ行く以前から、対独戦勝記念行事への出席を9月3日の抗日戦勝記念と関連付けており、ロシア側からの招待に対し、プーチン大統領が北京の行事に出席することの確認を求めていた。これにプーチン大統領は積極的に応えた。
習主席はこの返事を得て喜んだが、単に行事が盛り上がるから喜んだわけではない。モスクワでは対独戦勝、北京では対日戦勝となると比較的狭い目的となるが、そうではなく、もっと大きな目的を掲げることに繋がると考えたのだ。具体的には「反ファシズム」や「反帝国主義」を掲げることである。これが中国にとって好都合と判断したのだ。
習主席は「将来、反独ファシズム・反日軍国主義戦勝記念活動を中ロ共同で開催することを希望する」と述べたと報道されたこともあった(香港の中国系紙『文匯報』1月27日付)。
「共同開催」は実現しなかったが、今回、その一歩手前まではたどり着いた。中国は、歴史的には存在しなかったドイツとの戦いにも、「反ファシズム」「反帝国主義」などの戦争目的を掲げることで、まるで大きな戦いに参加していたとの印象を作り出そうとしているのだ。
無料会員登録はこちら
ログインはこちら