日本のタテ社会に「上の人」がいないと困る訳 人類の進化史に「リーダー」は存在しなかった

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自然人類学者の目で見ると
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高度成長期には、時代精神、時代の雰囲気というものも影響しています。

当時は、みんな貧しかった。でも、明日は必ず良くなると思っていました。「24時間働けますか」というCMもありましたが、それをやって絶対に儲かって、暮らしが良くなるという確信があったわけです。

でも、今は誰もそんなことは思っていません。一生懸命に働いたからといって、非正規が正規になるわけではない。そう考えると、あの時代だからできたという面があったことになります。

「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われましたが、何もかも良かったのかと言うと、そうではないでしょう。これまでの日本的経営の手法についても、なぜあの時に限ってうまくいったのか、そのまま現在に当てはめるのではなく、よく分析するべきだと思います。

日本の組織は、上下関係をとても大事にします。人類学者の中根千枝氏による『タテ社会の人間関係』(1967)という本がありますが、あれは本当に正しいと思います。

組織のなかで上になるのは、年齢よりも、先にその組織に入ったのはどちらかということになります。そして、会社も大学も、トップの会社、トップの大学から序列がついていて、さらに、それが組織として数珠繋がりになる形でうまくいっているのが日本です。

これを打破して、横の繋がりを作るのはとても難しいことで、組織のなかでの数珠繋ぎの上下関係を壊すようなことを言う人は、悪者になるのです。

自他の区別がない日本文化

よく、日本人は個人主義ではないと言われますが、個人がなく、みんな同じというわけではありません。自分と他人という区別をあまりしないのが日本の文化なのです。

「トンネルを抜けると雪国であった」という文には「私が」という主語がありません。同じように、「誰が〇〇した」と表現することは、日本語ではあまりありません。

しかし、それを英語に翻訳すると、I、You、Sheなど主語を言わなければなりません。
はっきりしたことを言わないのも日本人の特徴です。

例えば、「あのお芝居良かったね」「そうだね」ということまでは共感したとしても、「私は、ここがこういう理由で良いと思った」と細かいところまで言うと、「ウザい」となってしまうんですね。

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