『内P』復活で感じた「内村光良」後進育成の凄み 多くの芸人を復活・再ブレークさせた立役者
内村たちが部屋のなかをあれこれ物色していると、なぜか風呂場から「ニャー」という猫の鳴き声が聞こえる。不審に思ってのぞいてみると、そこにはミュージカルのCATS風メイクでシャワーを浴びたりしている有吉がいる。そして有吉扮する「猫男爵」は裸のまま部屋に入り、自分も好き勝手をし始める。
『電波少年』のアイドル的イメージが強かった有吉が、ひとつ殻を破るきっかけになったキャラクターである。大喜利企画でも存在感を発揮するなど、有吉の芸人としての実力を知らしめたのが『内P』だった。
ウッチャンナンチャンが発明した「ショートコント」スタイル
お笑い芸人は、自分の売りを手に入れられるかどうかが勝負の分かれ目になる。そして売りになるものは、ひとりでいくら考えてもなかなか見つからない。そんなときは、ほかの芸人たちと切磋琢磨することも必要だ。
若手時代の内村光良本人にも同様の経験があった。
南原清隆とのコンビであるウッチャンナンチャンは、1980年代後半ダウンタウン、とんねるずらとともに「お笑い第三世代」としてブレーク。ただ、まだ無名の頃は東京・渋谷のライブハウス「ラ・ママ」で開催された「ラ・ママ新人コント大会」に出演していた。
主催はコント赤信号のリーダー・渡辺正行。そこで若手芸人たちがしのぎを削るなか、ウッチャンナンチャンはなかなか頭角を現すことができずにいた。
一方、人気を博していたのがジャドーズ。ジャドーズは、もともとはバンド(メンバーには、後に「LOVEマシーン」の編曲などで有名になるダンス☆マンもいた)。だがお笑いも達者で、当時「ラ・ママ」で圧倒的な人気を誇っていた。
そのスタイルは、短いものまねやギャグをテンポよくつないでいくもの。バンドらしく、ネタのあいだに自作のブリッジ(音)が入る。当時はネタというと5分くらいある長尺ものばかりで、ショートネタの積み重ねという方式がまず斬新だった(渡辺正行『関東芸人のリーダー』)。
これにヒントを得たのがウッチャンナンチャンだった。2人はそれまでの長尺コントをやめ、ジャドーズのショートネタ方式を借りつつ、短いショートコントを次々に連発するスタイルに切り替える。
「ショートコント、〇〇」と言いながら進めるスタイルはいまや定番だが、それはウッチャンナンチャンが40年ほど前に発明したものだった。そこから人気も上昇。2人の現在に至るサクセスストーリーが始まる。
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