和田アキ子の限界「アッコにおまかせ!」に終了説 強面キャラが本物の権力者として批判されるように

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歌に目覚めた和田は、ジャズ喫茶やダンスホールに出入りするようになる。そこで他人が歌っているのを聴いた和田は「私のほうがうまいんちゃう?」と感じた。すぐに舞台に上がり、自ら歌うようになった。その様子を見ていたホリプロ社長(当時)の堀威夫が彼女をスカウトして、歌手としてデビューすることが決まった。

しかし、生活は苦しかった。ほとんど休みもないのに給料は月3万円のみ。寮の代わりに社長の自宅に居候していた。社長に気を使っていた和田は、ご飯のおかわりを申し出ることもできず、いつも空腹に苦しんでいた。近所の寿司屋で「ちらし寿司3人前を食べきったら無料」という企画をやっていたので、トイレで吐きながら無理矢理全部食べたこともあった。

1968年に出したデビュー曲『星空の孤独』は期待していたほど売れず、和田はますます苦悩を深めていた。だが、2曲目にリリースした『どしゃぶりの雨の中で』がヒット。その後、『笑って許して』『あの鐘を鳴らすのはあなた』などのヒット曲が次々に飛び出して、和田は一気にスターダムに躍り出た。

ヒット曲が出た後もイジメに遭う

しかし、ぽっと出の新人歌手に対して芸能界の先輩たちは厳しかった。当時の楽屋は、一部の大御所以外は男女別の大部屋が当たり前。男性のように図体の大きい和田は先輩たちから「男がいるから着替えができないわ」と嫌みを言われたり、わざとお茶をこぼされたり、靴にマジックで「バカ」と書かれたり、といったイジメに遭った。収録中にも、ある男性歌手に「お前がいると俺の背が低く見えるから、俺の横に並ぶな」と言われ、蹴飛ばされたりしたこともあった。

壮絶なイジメにも負けず、和田は歌手として確実にステップアップしていった。そして1973年、彼女のキャリアを決定づける1つの番組が始まった。一時代を築いた伝説的なバラエティ番組『金曜10時!うわさのチャンネル!!』(日本テレビ系)である。

ここで和田は、ゴッドファーザーをもじった「ゴッド姉ちゃん」に扮して、子分役のタレントを鍛えるためにさまざまな企画を仕掛けていく役割だった。ハリセン片手にせんだみつおら共演者を追いかけ回し、高圧的に振る舞うのだが、時に反撃されてひどい目に遭う、というアドリブ要素の多いコントだった。

和田アキ子
「ゴッド姉ちゃん」が当たり、トップへの階段を上り始めた(時事/1975年撮影)
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