和田アキ子の限界「アッコにおまかせ!」に終了説 強面キャラが本物の権力者として批判されるように

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しかし、歌手としてもバラエティタレントとしても何十年もトップに君臨してきた彼女を甘く見てはいけない。ここまで生き残ってきたのにはそれなりの理由がある。彼女の経歴を簡単に振り返りながらそれを考察していくことにする。

和田アキ子は1950年に大阪府で生まれた。父親は料亭を経営しながら柔道の指導をしていた昔気質の人物。母親は乾物屋を営んでいた。家庭では父が絶対的な権力者として君臨しており、子供たちは全員敬語で接していた。家族は全員、父に脅えながら暮らしていた。

家庭での抑圧が強かった和田は、その反動で非行に走った。小さい頃から体が大きかったため、街を歩いていてもからかいの対象となることが多かった。それを聞くと思わず手が出てしまう。ケンカ、酒、タバコに明け暮れ、「ミナミのアコ」として恐れられていた。

人生を決定づけた洋楽との出会い

そんな和田の人生を決定づけた出来事があった。それは、中学のときのこと。初めての英語の授業でショックを受けた。

「『ハウアーユー』って何やねん」

自分には全く理解できない新しい言語に触れて、新鮮な驚きを感じた。負けん気が強かった和田はそこで「ナメられてはいけない」と思った。さっそくレコード店に向かって適当に洋楽のレコードを買い、それを何度も聴いて英語の歌を覚えた。そして、友達の前で披露するようになったのだ。そのとき買ったレコードがレイ・チャールズの『愛さずにいられない』。のちに親交を深め、「レイちゃん」と呼んで慕うようになる世界的ソウルシンガーをこのとき初めて知った。

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