発達障害の子どもとの対話で大人が陥る落とし穴 そのコミュニケーションは大人が楽になるだけでは?

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「発達障害は○○だから」が独り歩きすると、コミュニケーションの本質を崩しかねません。特性に関係なく、嫌なものは嫌だし、好きなものは好き。診断名にばかりこだわらず、その子ども本人と向き合うことが大事です。

コミュニケーションは誰のため?

もう少しコミュニケーションの根幹について皆さんと一緒に考えていきたいと思います。仮に次のようなシチュエーションに置かれた場合、あなたならどうしますか?

【設定】
あなたはとある放課後等デイサービス(障害のある小中高生が通う福祉施設)に勤務しています。そこで無発語で肢体不自由の生徒(15歳)を担当することになりました。
前提として、その生徒がこちらの言っていることをどれくらい理解できているかわかりません。ただ、接しているうちに「どうも結構わかっていることがあるぞ」「おしゃべりは難しいがスイッチを押すことはできそうだ」とわかってきました。そこで、あなたはVOCA(携帯用会話補助装置)を使って、その生徒がボタンを押して発信できるメッセージを5つ選択することになりました。

さて、あなたなら5つのメッセージに何を選択しますか? メッセージはこちらが自由に選ぶことができます。「おなかすいたよ!」や「遊びに行こうぜ!」といった要求でも、「はい」「いいえ」といった単語でも何でも構いません。

もちろん、詳しい状況や場面によって答えは変わりますし、そもそも「正解」があるものではないと思います。

ともかく、ある若手は「おなかがすいた」「トイレに行きたい」といったものを選んだそうですが、それを上司に見せたときに「このコミュニケーションは(本人にとって)楽しいか?」と言われたそうです。

続いて、「これは本人がとりたいコミュニケーションなのかな? それとも(本人が言ってくれたら)こちらが楽になるコミュニケーションかな?」とも。

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