早慶で「サークルに青春を捧げた男」驚きの20年後 早稲田実業中退→大検→経産省の官僚、そして・・・

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「学校の授業についていけませんでした。中学に入るまでそれなりに勉強できるほうだと思っていましたが、テストの結果も散々で……。部活は野球部に入りましたがここでもついていけず、入部して3、4カ月で退部しました。当時の友達とは今でもいい関係が続いてますし、あのとき出会えたことは人生の宝だと思います。でも、折り合いの悪い先生もいましたし、学校に関してはまったく楽しくなかったです」

元々、好きか嫌いかがハッキリしている性格で、勉強ができないと自覚した途端、学習に対する意欲を無くしてしまった。気づけば劣等生として扱われ、成績は1学年200人中下から3番目。当初、中学から付属の高校には99%以上進学できると聞いて入学したが、本当にスレスレのラインでなんとか高校進学できることになった。

高校1年で「イベサー」にハマる

無気力気味だった依田さんだが、高校に入ると、彼の人生に大きな影響を与える活動に出会う。当時、全盛期だったイベントサークル、通称イベサーだ。

イベサーとは1990年末期から2000年代初頭にかけてクラブイベントなどを主催していたサークルで、渋谷を中心に何十~何百と活動するサークルが存在した。複数の学校で構成されるグループや、地元のメンバーで結成されるもの、サークルによって属性も特徴もマチマチだったが、参加者には進学校やエスカレーター式の付属校に通っている学生も多かった。

イベサーに熱中していた当時の依田さん(写真:依田さん提供)

依田さんが先輩に誘われてイベサーに入ったのは高校1年生の7月頃。当初5人だったイベサーに依田さんが加入すると徐々に人数が増えはじめ、気づけば50人規模のイベサーに拡大。10人程度のイベサーもある中で、50人規模の人数が集まる団体は、高校生のイベサーとしてはかなりの大所帯で、巷では有名な団体の一つだったと語る。

イベントの頻度は約3カ月に1回程度。週2回はみんなで集まってミーティングしたりイベントの準備をしていたという。1回イベントを主催すると場所代やその他経費で100万、多いときは200万ほどかかることもあり、自分たちのイベサーだけでイベントを開くこともあれば、他のイベサーと合同でイベントを開くこともあった。大規模なイベントになると参加者が1000人、2000人となることもあったという。

「学校とは違う世界が広がっていました。渋谷センター街に行けば約束をしなくても友達がたくさんいるし、センター街のマクドナルドや当時はロッテリア、今はバーガーキングになっている店とか、ファーストフード店は高校生の溜まり場でしたね。

また、イベサーではパンフレットも作って自分たちの顔も載せていたので、まわりにもどんどん知られていくんですよ。渋谷にいるだけで知らない人から声を掛けられることもよくあって、そういうのって高校生の頃はちょっと嬉しいじゃないですか。ストリートでの立ち位置が上がっていく感じもして楽しかったです」

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