延べ880万人、日本一のお写経道場に託された思い 薬師寺は般若心経のお写経を広める役割を果たしてきた
仏教が伝来した6世紀、国家事業だった仏教は学問として機能していたため、寺は一般民衆とは密接な関係を持っていなかった。東大寺や薬師寺といった奈良時代に建立された寺院に墓がないのは、そうした側面を持つからでもある。
時代が下り、平安、鎌倉時代になると民衆に膾炙していくようになるが、本格的に葬儀といった考え方が根付くのは江戸時代前期からとなる。
薬師寺は葬儀・法事を行わない。そのため寺を運営する収入源は拝観料や寄進が主となり、伽藍復興はお写経勧進が大きな役割を果たした。奈良時代の寺院は、現代人が寺に抱くイメージとは異なる、「在り様」を持っているのである。
スローガンは「心を耕そう」
現在、大谷さんは「心を耕そう」をスローガンに全国で法話行脚を行う。
「仏教は、2500年前にお釈迦様がお説きになられ、2200年前に初めて文字になりました。文字になったお経の中に、『人間は恨み深い』『恨みなき心によってのみ恨みは消える』と書いてあります。すべて心の問題なんですね。
しかし、現代人は物やお金を持つことで心が幸せになれると考えるようになりました。その間、心の訓練を忘れてしまった。もう一度、自分の心の訓練をしなければいけない時代にあるのではないかと思うんですね」
道場完成以来、毎日誰かがお写経を行うために薬師寺を訪れる。その数は現在まで約880万巻(がん)――、つまり56年間に延べ880万人がお写経を書いたということになる。心の構築を求めている人は多い。
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