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「全体の3割が存続危機」 寺院とお墓の栄枯盛衰 僧侶の兼業化、霊園ブーム、家族葬の登場…

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日本の寺院がたどった栄枯盛衰の歴史と現状を解説する。

お寺と墓地
檀家の減少に歯止めがかからない寺院は多い(イメージ写真:PIXTA)

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急増する墓じまいから樹木葬、海洋散骨に至るまで、葬送をめぐる価値観の急速な変化とその実情を探った。『週刊東洋経済』4月13日号の第1特集は「無縁時代の『お墓』新常識」だ。
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葬儀というものが、いつ始まったかについては記録がない。北イラクにある3万5000年以上前の遺跡で、ネアンデルタール人の埋葬場所付近から花粉が発見され、死者を弔った最古の痕跡ではないかという推測がある。

墓については、日本でいえば1万年以上前の後期旧石器時代の遺跡内から、土坑墓(土葬された墓)と推定される遺構が発見されている。仲間や家族が死亡したときには弔うという人間の慣習は、とてつもなく長い歴史を持っている。

日本人と寺(仏教寺院)の関係は古いものの、葬儀や墓ほどの長い歴史は有していない。

6世紀初め(飛鳥時代の直前)に日本に伝わったとされる仏教は、豪族や貴族そして武士の間に広まったが、広く民衆化したのは室町時代後期の戦乱の時代、応仁の乱前後からであろうとみられている。民衆の葬儀を媒介として広まったことから、「葬祭仏教の誕生」といわれている。

寺は戸籍係の役割も

以降、民衆の支持を受けて仏教は勢いを増し、江戸時代の中期に幕府が「寺請制度」を定めたことで、民衆はいずれかの寺に家族単位で属すことになった。寺は戸籍係の役割も兼ねており、葬儀は自らが属す寺で行うことが半ば制度として義務化された。

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