ヨーカドーが「第2のライフ」には多分なれない訳 「消費者を見ない姿勢」は変化の妨げになる
ヨーカドーも似たところがある。
かつて、アパレルがなんでも作れば売れたように、GMSでは「モノがあれば、売れた」。高度成長期の名残を残しつつ、内需が拡大し続ける時代、多種多様なモノがあることそのものが、一つの強みになったのだ。
しかし、郊外において大型量販店が多数出店したことや、ECの発達により、「モノが手に入る」ことはそれほどの価値ではなくなった。そうではなく、どれほど消費者個々人に深く「刺さる」かが、その店の価値を決定するようになる。これはヨーカドーだけでなく、GMS全体に対して「なんでもあるが、欲しいモノがない」と言われることに象徴されるように、ただモノがあるだけで、それが顧客の興味を引かなくなってしまったのだ。
しかし、ヨーカドーの場合、そこから消費者のを向く改革は遅れに遅れ、結局、デッドラインに近いところまで来てしまった。アパレル業界と同じく、その改革が遅れたのは、明らかに「内側の論理」を優先させていたことがある。ノンフィクションライターの窪田順生は、ITmediaビジネスオンラインの記事「『イトーヨーカドー』はなぜ大量閉店に追い込まれたのか “撤退できぬ病”の可能性」の中で、ヨーカドーの撤退が遅れたのを「撤退できぬ病」と名付け、以下の記事を引用する。
まさに「プライド」は、「内側の論理」でしかない。プライドよりも前にヨーカドーには、消費者のために店を展開する、という責務があるはずだ。
現場と本部の乖離を生み出す「内側の論理」
こうした「内側の論理による改革」は、また、別の問題も引き起こす。現場の不信感だ。それがまた、ヨーカドーをライフから遠ざける。
ライフについて、ライフコーポレーションの岩崎高治社長は、はじめて店舗を視察した際、傘立ての場所さえも現場で決められないということに驚き、「もっと現場に権限を」ということで、ライフをかなり「権限委譲」された店舗に変えていったことを度々語っている。
先ほど、ライフについて、店舗ごとに販売戦略が異なる話をしたが、それは現場の店長が自主的にそうしている場合も多い。消費者と最も近い位置にいるのは現場で働く人々。彼らの裁量が店舗運営に生かされることが望ましいだろう。
このように、本部と現場での足並みを揃えるためには、ある程度双方に対する信頼関係がなくてはならない。
靴やカバンの修理店として知られるミスターミニットの元社長である迫俊亮が、同社の改革をテーマにした『やる気を引き出し、人を動かす リーダーの現場力』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)では、本部の指示に対して、現場が全く従わなかったエピソードが書かれている。
現場の人間は、本部の人間から大切にされていると思っておらず、その指示を適当に受け流していたのだ。本部と現場が乖離していたのである(会議室で考えた新たな施策が、現場の手を止めて接客の妨げになることが多かった……という歴史も、背景にはあった)。
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