宮中から実家帰った「紫式部」心がかき乱された訳 その一方で宮中での生活が恋しくなるように

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中宮彰子が、内裏に戻るのは、11月17日のこと。もしかしたら、その諸々の準備のため、紫式部に早く戻ってきてほしいと言ったのかもしれません。それでも紫式部としては、自分を必要としてくれる場があることに、案外、喜んで再出勤したのではないでしょうか。

さて、中宮が内裏に戻るのは、11月17日の午後8時頃のはずだったのですが、夜は更けていきます。女房たちが30人ほど、正装し、髪を上げて並んで、待機していました。

内裏へと戻る中宮の御輿には、宮の宣旨(彰子の女房)が同乗しました。糸毛の牛車には、道長の妻と若宮、そしてその乳母が乗っていました。紫式部もまた別の牛車に乗ることになりました。同乗者は、馬の中将(彰子の女房。藤原相尹の娘)でした。

宮仕えの嫌な一面も

紫式部の日記の内容を見ると、このとき、馬の中将は(まずい人と乗った)という顔をしたようです。

馬の中将がなぜそんな顔をしたのか、その理由までは書いていません。紫式部とは元々、反りが合わなかったのでしょうか。(同車くらいで何と大袈裟な)と紫式部は思うとともに、こういったところが、宮仕えの嫌なところだとも書き残しています。(わかる、わかる)という現代の勤め人の声も聞こえてきそうですが。

それはともかく、牛車から降りた紫式部たち。その姿は月明かりに照らされます。(こんな明るい中を、人から丸見えで歩かなければならないなんて、ひどいわ)と思いつつ、紫式部は歩き始めました。

先程の馬の中将は紫式部よりも先に進んでいるものの、どこに行けばよいのかわからず、オドオドしている模様です。

その様子を見て、紫式部は(私の後ろ姿を見る人もきっと同じように見ているだろうと思い、恥ずかしい)と感じたようです。

その夜、紫式部は、細殿の三の口で、小少将の君と語り合いつつ、横になります。寒さで硬くなっていた衣を横へ押しやり、重ね着をし、火取りに火を入れて、暖を取ります。

そうしたところに、侍従の宰相(藤原実成)、左宰相の中将(源経房)、公信の中将(藤原公信)といった男性たちがやってきました。紫式部は正直、鬱陶しいと感じたようです。

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