Z世代を通して見える「社会に余裕がない」原因 賢い人なら概念を厳密に定義できるという幻想

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勅使川原:そうなんです。余裕がないと感じると、不安や欠けているものを見つけて、それを解決しようとする。そのために何かを埋め合わせようとして、ますます余裕がなくなるループに陥ってしまうのではないかと。

舟津:なるほど。そもそも、余裕がある状態と余裕がない状態は、どうやら対称じゃない。「ない」なら、埋めれば「ある」ようになる、という話ではないんですね。

勅使川原:そうなんですよね。

厳密な定義を求めることに意味はない

舟津:今の問いにつながる回答として、本を読んでいただいた方にこうした感想をいただきました。要約ですが、

「若者が不安ビジネスに駆り立てられることに対して、根拠のない自信が対抗手段になると書かれるのは、こうした種類の自信が、『ミメーシス』(社会学者の宮台真司氏は『感染』と翻訳)として伝えるしかないことを直感しているからこそ実効的なものとして書けるのでは」

舟津 昌平(ふなつ しょうへい)
舟津 昌平(ふなつ しょうへい)/経営学者、東京大学大学院経済学研究科講師。1989年奈良県生まれ。2012年京都大学法学部卒業、14年京都大学大学院経営管理教育部修了、19年京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了、博士(経済学)。23年10月より現職。著書に『制度複雑性のマネジメント』(白桃書房、2023年度日本ベンチャー学会清成忠男賞書籍部門受賞)、『組織変革論』(中央経済社)などがある。

これを解釈すると、自信を持ちましょう、余裕を持ちましょうと言ったときに、どうやったらできるのかという、唯一で簡便な方法はない。自信は直感や身体的に会得するもので、何かを機械的に揃えれば目的が達成されるという単純なものではない。

「頑張れ」という言葉も、それに近いものだと思っています。頑張るとは何か、どこまでやれば頑張るとされるのか、といった厳密な定義を求めることに意味はないんです。でも、頑張れと言われるだけで、その瞬間、頑張れるということはあります。それはまさしくミメーシス、感染のようなものです。そして、教室や会社など組織の中には、そういうものがあふれているはずです。

頼りない答えだ、何も言っていないに等しい、という反論があることは承知で、いざ解決策を提示しようにも、自信を持とう、頑張ろう、としか言えないんだって、私はどこかで思っているのですよね。

勅使川原:本来はそう理解するべきだと思います。ただ、実際には、賢い人であればざっくりした概念を逆算的に定義できると思われていて、それが至上命題のように掲げられ、ありがたがられてしまうんです。「こうすれば○○になれる」みたいな。

舟津:ああ、まさに。すごい人が自信を持っているから、その人のようにすれば自信が持てるという感じで。でも、逆算的な方法では同様には行き着かない。

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