Z世代を通して見える「社会に余裕がない」原因 賢い人なら概念を厳密に定義できるという幻想
舟津:だから、私が「余裕を持とう」というメッセージを送ったのはなぜかというと、余裕が100%メリットしかないものだからではなくて、いま足りていないからなんですよね。つまり、仮に不安状態と余裕状態が両極端にあるものだとしたら、いまは不安に寄りすぎている。だから、もうちょっと余裕寄りでいいよと。不安と余裕のバランスを取ろうよ、という意味なんです。
逆に、無駄に余裕がある人もいますよね(笑)。本当に焦らなければいけない場面で焦らないとか。そのときは、余裕がデメリットになります。そういう意味では、不安にもメリットがあるんです。不安に思うからこそ頑張ろうとするし、不安が将来を考えるきっかけになることもある。だから不安も完全に悪いものではないんです。
「余裕を持っていいのは勝ち組だけ」という風潮
勅使川原:面白い考え方ですね。それに関連して思うのですが、いまの社会では、余裕を持つことがある種の特権化されているような気がします。つまり、頑張って実力をつけた人だけが余裕ぶっこいていい、みたいな。勝ち組だけに許された行いのように捉えられているのも問題かなと思っています。
舟津:ああ、なるほど。私の本の中でいえば、内定を持っていない学生まで余裕を持っているのはおかしい、という考え方ですね。あるいは、業績が悪い会社がなんで余裕こいているんだと。
勅使川原:そのとおりです。
舟津:特権というところが大事なご指摘で、特権と錯覚するほどに余裕を持つことに条件があるという考えが広がると、本来、余裕を持っていい側の人も余裕がなくなっていくんですよね。
勅使川原:そうか。うん、そうですね。
舟津:だから、いまは余裕の意味を強調すべき時期だと思います。余裕を持つことは勝ち組の特権ではないと。たとえ内定がなくても、「まあ、なんとかなるよ」と言ってもいいよと。
勅使川原:そうですよね。逆に、そういう人ほど余裕を持っていたほうがいいかもしれない。いまは発言権が奪われちゃっているんだ。「お前が言うの?」みたいになっている。完璧であることを100%の力で目指したうえでしか脱力できない社会というか。そんなのしんどいだけです。
舟津:これは個人に限らない話で。たとえば、環境に配慮することが評価されるのは、あくまでビジネスで結果を出している企業だけですよね。環境配慮した結果、会社が潰れたらどうなるんでしょう?誰か助けてくれるでしょうか。