赤坂真理さん独白「本当に欲しいのは幸せだった」 「生きづらさを緩和しようと」して求めたもの

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かくて、それを覆う方法を見つけた。一般的にアディクション(≒依存症)とみなされているものは「最初に傷を覆う方法」のことである。これをやめたときに、自殺してしまう人も少なからずいる。

緩衝帯が逆に日常を圧迫してしまう状態

いわゆる依存症という病が、最初からあるわけではない感じがしていた。症状そのものが一番の問題でもない気がしていた。アルコールならアルコールが、最初からその問題として、あるわけではない気がしていた。

『安全に狂う方法――アディクションから摑みとったこと』(医学書院)。書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします

わけがあって飲んだ。生きづらさがあって飲んだ。それが真実だろう。生きづらさを紛らわしながら、この世界でやっていくために飲んだ。この世界とのあいだにアルコールでクッションをつくりながら、世界と折り合おうとした。つらくても、そうまでしてがんばった。

こういう意味で、アディクトには真面目な人たちが多い。よく信じられているような「だらしない人たち」ではなく、むしろ人一倍真面目くらいの人が多い。なにしろアルコールや合法違法の薬物を大量に使ってまで、この世界に適応しようとしていたのだから。

アディクションとは、それがどういうものであったとしても、当人が最初の生きづらさを緩和しようとして発見した「セルフ緩和ケア」であると思う。いちばん手に入りやすいもので、いちばん合うものを選択する。繰り返すが、そうやってこの世界の諸事に対応しようと一生懸命な彼らは、真面目な人たちである。

世界と折り合うために、セルフ緩和ケアによって「クッション」あるいは「緩衝帯」をつくる。アディクションとは、クッションが日常を圧迫し過ぎた状態、あるいはクッションが日常を凌駕してしまった状態をいうのだと思う。そして、それだけつらかったということに他ならないと思う。

赤坂 真理 作家

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あかさかまり / Mari Akasaka

東京都生まれ。作家。1995年「起爆者」でデビュー。『蝶の皮膚の下』(河出文庫)、『ミューズ』(野間文芸新人賞、講談社文庫)、『ヴァイブレータ』(講談社文庫、映画化)などを刊行。2012年に天皇の戦争責任をアメリカで問われる少女通して戦後を問うた『東京プリズン』(河出文庫)が大きな反響を呼び、同作で毎日出版文化賞、司馬遼太郎賞、紫式部賞を受賞。批評と物語の中間的作品に『愛と暴力の戦後とその後』(講談社現代新書)、『愛と性と存在のはなし』(NHK出版新書)など。身体を使った文学的表現にも関心を持つ。アクティブ瞑想、タントラ瞑想を教える。

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